上武鉄道D1001

どですかでん様のリクエストにお応えして、上武鉄道D1001の写真を投稿します。1970年(昭和45年)4月4日に西武化学前での撮影です。

上武鉄道D1001  おでこのラッパの下に小さなプレートがあります。

同上

昭和12年 日車東京

D1001の写真はこれがすべてです。昭和45年の春休みに関東私鉄巡りの一人旅をしました。岐阜市内線を撮って大垣から夜行で上京、青梅線のEL,秩父のEL,そのあと上武を訪ね、足尾線のC12,東武のEL,関東鉄道鉾田線、筑波線、竜ケ崎線、常総線と7泊8日の旅でした。京都からの連続切符が学割で3,030円プラス大垣夜行グリーン車300円の計3,330円でした。国鉄は安上がりだったので、私鉄が高いと感じたものでした。観光地でもないドサ回りコースのため、適当なユースホステルがなく困った思い出もあります。上武についての情報はピクの「私鉄車両めぐり」だけが頼りで、丹荘から丁度上武の列車がなく、東武バスで西武化学前まで行ったと思います。列車に乗るのに会社の門を入って行ったのは後にも先にもこの時だけでした。D1001は写真のようにもう休車状態でした。このD1001は鹿島参宮鉄道からやってきた機関車で国産ディーゼル機関車の元祖のような存在でした。そんな貴重な機関車がまだ生きていたことに感激しつつ、ピクには出ていなかった新しいDBがいたりしてそちらに気をとられて結局D1001はこの3枚しか撮らなかったことが悔やまれます。構内を歩き回って最後はハフ3に乗って丹荘まで戻ったと思います。「補機」のNo.29に記事を載せていたことは全く覚えがなく、手元にあるかと探してみましたが、No.29はありませんでした。貴君が「補機」のデジタル化に挑戦されていることに敬意を表します。是非No.29も見てみたいものです。ところで私の手元に残っている「補機」は次の通りです。No.10、15、17、18、19、20、22、23、24、25、26、27の12冊です。貴君所蔵のものとだぶっていると思いますが、重複していないものは是非ラインナップに加えて下さい。

上武鉄道D1001」への3件のフィードバック

  1. この機関車は日車東京支店が製造した、唯一の機関車(機関池貝6HSD12、70kw/1,400)で、そのためか、日車の製番記録がなく、この時期として珍しく無製番機関車でもあります。購入した鹿島参宮鉄道では殆ど走行記録がなく、購入年の1937年度204kmがほぼ唯一で、その後の消耗品統計にも全く「重油」が現れませんが、車輌表では敗戦後でも残ってはいます。恐らく混合列車牽引には無力だったかと思われ、放置同然。何しろ1951年に現車を見た先輩に記録では、ブレーキシューが納入時のままだった由。その後やっと日本ニッケルが購入し、末年には機関をDA55に換装していた由ですが、稼働率は低かったと思われます。なお日車東京支店での竣功写真では、排気パイプがキャブ左後角に屋根より高くそびえ、先端がストーブ同然の形態でした。

    • yuguchi様
      すばやいコメントありがとうございます。見るからに非力な感じの機関車でしたが、そこまで稼働率が低かったとは知りませんでした。こういう機関車こそ鉄道博物館にうやうやしく陳列すべきだと思うのですが、えてしてこのような歴史的遺産は知らぬ間にスクラップになっているのが残念です。

  2. 西村様 上武鉄道D1001の写真ありがとうございます。補機No.29にはこのように書かれていました。「私がこの鉄道を訪れた主な目的はこのD1001をカメラに納めるためだったのです。これは今はなき銚子のヤマサしょう油の1号機とともに我が国の内燃機関車の発達史に重要な位置を占めるもので昭和12年日車製のB形古典機です。」また、ハフ3という客車についても書かれていました。補機の記事ではありますが貴重な上武鉄道訪問記です。補機No.29はPDFにしているのでメールにてお送りいたします。補機で重複しているのはNo.27と番号がかかれていない1969年6月発行で表紙が「信越本線を行くEF62」です。あとはNo.29 からNo.43までですがNo.38だけ抜けています。今のところ15冊の内10冊がデジタル化をしました。いま、読んでみてもふきだしてしまいそうな記事があって面白いです。ちなみにNo.29私が入会した時の新入会員歓迎号です。

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