北陸鉄道小松線

引続き昭和40年代の北陸鉄道小松線の状況を書き込みする。

小松線の前身は、大正15年12月、小松~白峰間を結ぶ予定で設立された白山電気鉄道で、昭和4年5月小松~鵜川遊泉寺間5.9kmを開業した。鵜川遊泉寺には鉱山があり、明治40年小松~鵜川遊泉寺~鉱山口間に馬車鉄道(遊泉寺鉱山専用鉄道)が開設されていたが閉山により大正7年廃止されてしまった。終点予定地の白峰は、金名線の終点の白山下よりも更に奥の白山山麓の集落で、ここまで鉄道を敷設しても採算が取れるとは思えない。昭和60年代まで福井県勝山~白峰間を京福バスが1日2往復運行していたので、それなりの交通の要所であったのかも知れない。昭和12年11月、社名を小松電気鉄道に変更、終戦直前の昭和20年7月20日付で北陸鉄道に買収された。マイカーの普及と少子化による乗客の減少により昭和61年6月1日付で廃止となった。

昭和40年代前半に在籍した車両は、モハ1001、モハ1002、モハ1201、モハ1802、モハ1814、サハ1601の6両で、モハは全車直接制御車でラッシュ時の連結運転時には各車両に運転手が乗務して協調運転を行っていた。昭和46年9月1日金石線(中橋~大野港)が廃止されると同線で使用されていたモハ3000形(3001~3005)5両が転属して在来車を置き換えた。

モハ1001、1002昭和24年12月日本鉄道自動車製の全長11.8mの小型車で、近江鉄道のクハ21形と同形車である。当初松金線(野々市~松任)に投入され、昭和30年11月15日同線廃止により小松線に転属した。(上42.3.21 下45.11.10撮影)

 

モハ1201能美線(新寺井~鶴来)の前身、能美電気鉄道のデハ301として昭和12年木南車輌で作られた。台車はブリル27GEの古いものを履いていた。前述のモハ1001と同じ全長11.8mの小型車であるが、バランスのよいスタイルをしていると思う。湯口先輩は金石線で撮影されておられるが、私自身、小松線と言えばこの車を思い出す程印象が強い。他の鉄道にもありそうなスタイルであるが同形車は見当たらず、西武鉄道が昭和25年から31年にかけて多摩湖線用に車体新製した旧モハ101形がほぼ同サイズ、扉間窓8個で何となく似ているように思うのは気の性であろうか。(42.3.21撮影)

 

モハ1802河南線(大聖寺~河南~山中・河南~新動橋他)の前身、温泉電軌のデハ22として昭和17年木南車輌作られた。昭和16年11月、山代車庫の火災で大半の車両を焼失し、被災車の車籍と一部機器を利用して急遽作られたと言われている。片山津線(動橋~片山津)で使用されていたが、昭和40年9月24日同線廃止後小松線に転属した。(42.3.21撮影)

 

モハ1814前述のモハ1802と同じく元温泉電軌の車両で、デハ27として昭和18年木南車輌で作られた。車体は1802と同形であるが4個モーターとなった。特筆すべきはコントローラーでスイスのブラウンベボリー社製の円形のものが付いており出所が気になる処である。戦時中のことで車体は新製ながら機器類はあちこちからかき集めたのだろうか。コントローラーもさることながら4個モーターの直接制御車というのも珍しい。(45.11.10撮影/鵜川遊泉寺、下はスイス・ブラウンベボリー社製のコントローラー)

 

サハ1601浅野川線(北鉄金沢~内灘)の前身、浅野川電気鉄道のデハ2として昭和2年日本車輌で作られた。京福電鉄福井支社のホデハ11形、ホデハ211形、福井鉄道モハ21形等同形車が北陸地方の私鉄に存在する。北陸鉄道合併後モハ1601に改番し、昭和30年まで浅野川線、昭和39年まで金石線で使用、小松線に転属後電装解除されてサハとなった。(45.11.10撮影)

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