洛西ニュータウンの電気バス
“京都のバス”再開します。シリーズが途絶えている間に、私の住環境もすっかり変わり、二階の窓から見ると大通りを続々と市バスが走って行くのが眺められるスポットとなりました。良くも悪くも、京都の公共交通は市バスが中心であることを実感します。そんな京都とバス、昭和の時代を断片的に見ていきます。
京都市バスにも、以前には電気バスが走っていました。初代の実用車は、本欄でも紹介したトロバス改造の「みどり号」で、そのあとに登場するのが、これから紹介する、昭和54年にデビューした、洛西ニュータウンを走る6両の電気バスでした。
▲洛西ニュータウンのなかを行く京都市バスの電気バス、洛西営業所に配属された、ふそう製で、ボディは京都市バスとしては珍しい三菱ボデー、通称ブルドッグバス、洛西ニュータウンから阪急桂駅に向かう系統に使われた。写真の「梅津車庫」は誤表示(昭和61年2月、以下同じ)。
▲洛西バスターミナルを発車する「西3」号系統の桂駅西口行き、電気バスは、京都22か2279~2281、2485~2487の計6両が、すべて洛西営業所に配置された。前部に「でんきバス」のステッカーが貼られていた。
昭和50年代に入ると、環境に優しい電気バスが注目されるようになり、通産省は補助金を出して、大都市の公営バスに電気バスの導入を促します。京都でも、洛西ニュータウンが電気バスのモデル地区に指定され、昭和54年に洛西営業所に6両の電気バス、ふそうME460が配属されて、洛西バスターミナル~阪急桂駅西口を結ぶ「西」系統で使用されるようになりました。
▲境谷大橋付近を行く電気バス、洛西ニュータウンは昭和51年に入居が始まったばかりの京都市では初の大規模ニュータウンだった。
▲洛西バスターミナルで待機する。電気バスは、京都市バスでは最後の非冷房車で、しかもバッテリー能力が低く、とくに坂の多いニュータウンの中ではノロくて、非力さが露呈され、次第に乗客からも嫌われるようになった。▲車庫のなかの充電整備で時間を掛けて充電に専念する。バッテリを入れたパレットごと交換する。電気バスは桂駅との間を2往復すると、もう充電が必要で、ランニングコスト高、保守の煩雑さは明らかで、燃費は一般のディーゼルバスの2倍と言われた。▲通産省の国庫補助が打ち切られたうえ、試験的な意味合いもあって、耐用年数も短く設定されていて、昭和62年7月に6両すべてが廃車、冷房つきの一般車に置き換えられた。一般のバスの使用年数と比べると、ずっと短い7年間だけの命だった。なお、現在でも洛西営業所に一両が保管されていて、開発を担当した日本電池(現・GSユアサ)にも一両保管されていると言う。
洛西営業所の電気バスですが、今はもう保管されていません。
チンチンバスも保管されていません。
どこかのリサイクル業者に売却されたと思います。
GENZOさま
情報、ありがとうございました。電気バス、チンチンバスも残っていないとのこと、市電保存にも冷酷な交通局ですから、ましてやバスは‥‥ですね。
この電気バスの撮影時ですが、カメラの故障で、露光がムチャクチャの露光オーバーになってしまいました。今までのアナログの引き伸ばしなら絶望的ですが、デジタルのお蔭で、何とか見られるまでに回復しました。
関西電力が引き取って発電所の作業員輸送に使ったと聞きました。あの電気工事の車と同じ色に塗られた姿も見たような気がします。それにしても天然ガスバスももう引退とはこういった車はマイナーなのかと思いきや、プリンセスラインが導入した中国製電気バスがいよいよ全国展開。また佐川急便の配送車にも導入との事です。
貴重な情報、ありがとうございます。プリンセスラインの電気バスが、京都だけでなく、全国に走るのですか。あの真っ赤な大型バスが、誰も乗っていないまま走っているのは、たしかに存在感がありました。京都市も、別の電気バスをテストで公道を走らせましたが、泣かず飛ばずでしたね。官と民、何かが違うのでしょうか。