恥ずかしい質問

最近、同級生とちょっとした論争になりました。負けられない論争です。

論点は昭和三十年代前半の奈良電のことです。私が「子供の頃奈良電に乗ると車掌が扉を手で締めて回っていた。しかも一両と言うことも多かった」といったところ、「アホ抜かせ!それは京阪の電車や、奈良電は自動で閉まったワイ!」と威張っています。彼は久津川の出身ですがその頃は本当に京阪だけが手動開閉だったのでしょうか?乙訓の老人様、覚えておられたらお教え下さい。

2 thoughts on “恥ずかしい質問

  1. お尋ねの件ですが、奈良電は開業以来ドアエンジン付きと思います。戦中、父の田舎(近鉄大阪線榛原下車)へ行く時に利用しましたが、大軌は卵型で手動扉であったのですが奈良電は自動扉でした。ドアエンジンが普及したのは昭和になってからで、久津川の友達は卵型は通過(急行)するので、木造車を見たのが丹波橋から1両で乗り入れの京阪200形の姿が頭に焼きついていたのではないでしょうか。さて、京阪のドアエンジンは1928年9月7日認可を得た1551~1554号(1927年8月31日運転開始:後の601~604)が最初である。奈良電1000型より1年2か月半、早い。その後、京阪本線では木造車を除き装備された。戦後、800型は更新(木造のまま)する際に装備した。残る200、300型は未装備のまま一生を終えた。京阪600型のドアエンジンは、装備当時は車掌台寄りの扉については開放することができた。「おーい、待ってくれ、乗せてぇーな」の客を車掌が拾えることで人気があった。これは早朝夜間、集改札員不在駅があったからであった。

  2. さっそくのご教示、ありがとうございました。
    残念ながら私の負けです。
    素人の田舎ものに頭を下げなければならないとは会員の皆様にお詫び申し上げます。

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