1953年3月15日特急「かもめ」処女列車

56年前になってしまったが、この日から東海道・山陽本線に特急「かもめ」が運行を開始した。今では掃いても捨てきれないぐらい日本全国特急だらけで、新幹線や特急に乗らずに旅ができるもんならやってみろといわれているのと同じ。急行が激減し、準急は消滅してしまった。1953年時点の国鉄には、特急と名が付く列車は東海道本線東京―大阪間の「つばめ」「はと」のみ。この「かもめ」が実に敗戦後3番目の特急だったのである。

下りは京都始発8時30分、広島14時15分着、20分発。門司17時54分着、58分発、博多終着19時10分。停車駅は他に大阪、神戸、姫路、岡山、小郡、下関のみ。上りは博多10時00分、広島14時48分着、53分発。京都終着20時40分である。

機関車は処女列車用に綺麗に磨き上げられ、煙室扉ハンドルが梅小路にちなみ梅模様の真鍮磨きだしと御召し並みのC59100だった。スハニ、スハ3両、マシ、スロ3両、最後尾スハフで一等車がないところが「つばめ」「はと」と差がついた。運転局では将来展望車を新製したかった由だが、これは遂に叶わなかった。

このとき小生は高校1年生で、特急とは撮るものであっても、自分が乗るなどとは考えもしなかった。学生時代に国鉄特急に乗車した経験は、北海道均一周遊券が急行料金抱き合わせに改悪された代償に、急行との差額を払えば特急にも乗れるようになり、一番安い名古屋-京都間を、差額特急券という珍券ほしさに一度だけある。ただし電車特急「こだま」だったが。

写真は何れも1953年3月15日の京都発処女列車。今なら大騒ぎの押し合いへしあい、怒号が飛び交うところだろうが、この時は「何人か」は撮影に来ていた程度。それも大方は顔見知りだった。カメラさえ持っていれば線路下りても目くじらは立てられなかった。

5 thoughts on “1953年3月15日特急「かもめ」処女列車

  1. この空気感がモノクロ写真の堪らない良さですね。
    早春の寒風のなか、煤煙まじりの駅構内の緊張感、流石は湯口兄です。
    昭和28年に山陽路の特急が復活できたのは興味深いですね。
    また始発が京都で終着が博多というのも西日本に対する手厚い印象があります。
    途中駅の県庁所在地級以外の姫路、小郡という停車駅は大きな機関区を擁する鉄道の
    町でさぞかし国鉄マンは誇らしかったのではないでしょうか。
    スハ44系は瀬野八の牽引力問題もありやがてナハ10系に変わります。
    62以前のC59の活躍としては最も華やかな場面。のちに鹿児島線に転じても
    かもめやみずほを牽いたC59。国内パシフィック最大の「かっこいい」機関車でした。
    付かなかった1等車については戦前のような特権階級なき戦後の民主社会、
    ロハだけ特急とはいえ空気を運ぶようなイテは勾配線区と巡航速度を保つうえ
    諦めたのが正しいと思います。
    DC時代になり僚友「みどり」と共に広島に母が里帰りする時は良く乗せられた
    思い出の多い列車です。

  2. またまたお恥ずかしいお話
    この写真を湯口大人が撮られてから少し後、母が肝臓を悪くしたため山陰の小串にある知人のお寺へ夏休み中滞在することになり京都駅から「かもめ」に乗りました。
    生まれて初めての特急でうれしくてうれしくてたまらなかったのをいまでも思い出します。
    ところが母は段取りが悪く、発車直前に駅について徐行している「かもめ」に飛び乗ることになってしまいました。専務車掌がデッキから腕を取ってくれたためかろうじて乗り込めたのです。
    さて、想い出はこのときのホームです。写真では京都駅の下り列車線であった5番線だと思いますが走り込んだホームが1番線だったように思えてならないのです。誰に聞いても「そんなアホなことはない」「京都駅は開駅以来1番線は上り専用や」と言われます。常識ではその通りで思い違いに決まっていますが思いでの場面は改札口から一直線に客車の扉めがけて駆け込む1番線の広いホームなのです。
    記憶とはいい加減なものとは分かっていてもなんとなく懐かしい想い出でした。

  3. Tsurukameさんに続き、またも国宝級の作品。C59はK.H.生さんも言われるハンサムボーイ。しかも磨きあげられたC59100の牽く処女列車を撮るのも背の高い拙老、いや失礼、若き日のハンサムボーイの湯口兄。京都駅は西明石行きの国電以外は殆どが汽車。
    どなたかにもコメント出しましたが、京都駅は大型蒸機が特に似合う駅。もう一度あの時代に戻ってみたいと思うのは小生だけではないと思います。ところで、米手作市さんもすごいですね。あの時代に特急に乗るのは今の飛行機のファーストクラス以上の時代。小生が乗ったのは阪急神戸線の特急だけでした。

  4. 準特急さん、
    私は貴方とは違うんです!
    特急も特急、特二やぞ。車内が薄いピンクで、網棚がなくて網の部分が鉄板製で棚になっていたのをはっきりと覚えているぞ!
    でも、当時は切符を買うのが至難の業で親が必至で並んだがとれずなくなく特二の席を買ったのをこれまたはっきりと覚えているのはいつまでもくよくよと嘆いていたからだろうと考える。
    車両がスロ53だったと分かったのは遙か後年になってからでした。

  5. 昭和35年に広島の親戚への行き返りに客車特急の「かもめ」に母と一緒に大阪駅から乗車しました。

    前年に東京の親戚に行った時は上りは「つばめ」、下りは「はと」を利用したのですが、乗車した客車は・・・勿論、3等です・・・スハ44だったので、「かもめ」も特急だから当然急行よりは上等なスハ44系に乗車できると思っていた私は、京都から大阪駅やってきた「かもめ」の客車が普通急行と同じナハ11だったのを見てガッカリしたのを憶えています。

    「かめめ」も以前はマイテが無いだけで、他の客車は「つばめ」等と同じく普通急行よりは上等そうなスハ44系だったのだけど、「はつかり」の運行が始まったときに理不尽にも「取り上げられてしまった(涙)」のを知ったのは後年のことでした。

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