50年前の神戸電鉄

 

迷図作家さんの力作、神戸電鉄デニ11型への関心が薄いと心配して頂いている。京都人は有馬温泉を大阪や神戸の奥座敷としか心得ていないようで、地下駅から出発する電車を知らず、関心が薄いのかも知れない。ゴルフブームの中で知った京都人も多いようである。

淡路島を訪ねようとした京都の学徒は、行きがけの駄賃に関東からやって来た気動車くずれと、7月入線のロマンスカー撮影を試みた。それには地下駅は不適であるのは自明のことで、tsurukame氏を案内人にしたようだ。その地下駅の地上から歩き出し、最初のトンネル付近(地形図A)は×とし、一山越して(地形図B)地点に移動した。さっそく電車青年が目的としていたロマンスカーが現れ、更に思いもよらない電動貨車もやってきてホクホク顔になった。

ところが気動車青年が目的としていた関東ものがやって来ない。場所を替えようと再度山越えを試みるが、夢野台火葬場(現在は廃場)の正面に出てしまった。これはおかしいぞと、陽当り方向を目指すうちに線路際に辿りついた。上り方(三田方面)は順光となり誠に具合が良い(地形図C)。ただし線路際は断崖絶壁となっている。それを下り、細い水路を渡り対岸をよじ登れば視野は拡がる。これだ!となりコンクリートブロックに挑戦した。対岸の小高い土盛でしばらく待つうちに、関東ものクハ132号を従えたモハ208号が湊川へ下って行った。もちろん折り返しを待つ。試運転のため直ぐに戻ってきた。

電車少年はそれから動くことなく、展望車改造クハ141号、もう一つの関東もの「びわこ型」クハ151号のお出ましを待ったが、現れずフィルム消化に励んだのみに終わった。その最後の1コマに迷図作家さんがモデルにされたデニ14号の姿があった。

老人が鉄ちゃんに復活したのは1986年夏、吉谷和典さん逝去半年後のことであった。四散していたフィルム(NEOPAN SS)が手許に戻ってきた。その中に1960.11.0304があった。DRFC時代にプリントしたことがない。高橋弘さんにお願いして、初めて見るプリントを手にして、「この崖は何処だろう」と首を捻った。フィルムのコマ順で長田の先と見当付けたが、何処か分からない。

そのころ業界2団体の世話役をしており、会議のため有馬温泉へ出向く機会が年1度以上あった。まだ現役バリバリであったので、昼食後に出向き先等から阪急芦屋川かJR芦屋から芦有バス利用で会議の席(温泉宿)に駆けつけることが多かった。阪神大震災の前年、新開地から久しぶりに山岳電車に乗ってみた。長田を前に沿線開発のすさまじさに驚いた。震災後、沿線で幾つか復興工事のお手伝いをする機会があり、長田から丸山に向け線路沿い道路を歩いてみたが、崖であったであろう位置は土砂や廃材で埋められ、雑草が覆い面影はなかった。線形も少し直線化されたようで変化が見られるが、その頃カブリツキから撮った1カットを紹介しよう。地形図【神戸丸山衝上断層】の位置である。

湊川~丸山間の地形図による線形

湊川~丸山間の地形図による線形

デハ4号:地形図A地点
デハ4号:地形図A地点
デハ304+303号:地形図B地点
デハ304+303号:地形図B地点
デハ211号:地形図C地点
デハ211号:地形図C地点
デト1001号:地形図B地点
デト1001号:地形図B地点
104号:地形図C地点
104号:地形図C地点
クハ132号:地形図C地点
クハ132号:地形図C地点
205号:地形図C地点
205号:地形図C地点
デニ14号:地形図C地点
デニ14号:地形図C地点
画面左下が丸山衝上譁・?
画面左下が丸山衝上断層

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