貫通路からの眺め
客車の貫通路、幌はあったものの、一部を除いて仕切扉はありませんでした。編成中間の場合は問題ないものの、編成端部になると、線路が直下に見えることになります。現在の安全基準から見れば、信じられないような構造ですが、編成端のデッキから見る光景は、遮るものがなく、移り行く景色を、十分に堪能できたものでした。
▲空はまだ明るさを残しているが、照明の少ない駅構内は、闇に包まれようとしている時間帯。発車を待つ列車後部の貫通路を通じて、客室の様子がよく見える。暖かそうな白熱灯が洩れる。貫通路の眺めは、内からも、外からも、客車を感じさせる角度だった(高森、昭和46年12月)。
▶こちらは、客室からデッキ・貫通路を通じて見た光景、夜間なら、まっすぐに伸びるレールが輝いて、旅に出たことを、より強く感じたものだ(門司、昭和46年12月)
▲終端駅に着いて機関車が離れ、折り返しのために入換えが始まる。その様子を貫通路から見るのが、終点に着いたときのひとつの流儀だった(熱塩、昭和46年9月)。 ▶編成の反対側、先頭側のデッキへ回ってみると、機関車の動きが手に取るように分かる。正向の場合はテンダーなので、面白味は少ないが、逆向の場合、ナンバープレートや煙室扉が、手に取るように分かるし、走り出すと機関車の激しい揺れがよく分かる(室木、昭和46年12月)。
総本家青信号特派員様
高森の客車も雰囲気がよろしいですね。外輪山の山容をくっきりととらえられており、客車の内部もよくわかります。難しい時間帯ですがこれもお見事です。左側のホームを照らす照明が少し明るすぎる様な気がするのが残念です。今なら考えられないですが客車は解放感が取り柄です。山陰線の夜行で最後部にD51が補機に着いた時には興奮して眠れなかった思い出があります。どの様な時間帯でも無駄に過ごしていない姿勢に頭が下がります。
準特急様
重ねてのお褒めのコメント、ありがとうございます。高森の客車を撮った時間帯は、日没後、暗くなるまでの間、最近の言葉で言うブルーモーメントの時間帯です。昔からこの時間帯が好きですが、わずか5~10分しかありません。そこに、列車を上手く置くのは、なかなか難しいですが、パズル的な面白さがあって、最近、ハマっています。ホントに、どの時間帯も無駄には過ごせません。
総本家青信号特派員さま
高森と門司に因んで編成メモを。
高森線:昭45.3.27/124レ(高森発立野行。於立野)/C12 222+オハ35635+オハフ33236(客車は熊クマ所属)
鹿児島~肥薩~吉都線:昭45.3.22/1121レ(門司港発都城行夜行。於門司港)/ED72 12[門]+スハ43567熊クマ+オ47179門モコ+スハフ42169門モコ(以上3両締切扱い)+マニ60167+オハ351186+351079+351084+オハフ33536(マニ60以降鹿ヤコ所属)
日豊線:昭45.3.25/522レ(西鹿児島発門司港行夜行。於宮崎)/DF50562 [大]+⑥オハフ33610+⑤オ351129+④オ35806+ゾ②スハネ3032+②オハネ1238+①オハフ331555+スユニ61301+スハニ3243+オハフ33346(ゾ②のみ門モシ、他は門モコ所属。スハニ32+オハフ33は宮崎から増結)
これ位にしておきます。
1900生さま
九州の列車の編成調べ、拝見しました。とくに夜行鈍行は、いずれも私もよく利用しただけに、懐かしい思いで見ていました。当時、居住性で劣った61系は、九州にも配置されていましたが、夜行は35系、43系で、ほかの地方のように、平気で61系を使うような無神経なことはなく、九州総局の思いやりを感じたものでした。
総本家青信号特派員様
コメントをと思いながら、東から台風がやってくるといった、稀有な経験をさせて貰った後になってしまいました。
最初の写真を見た時、思わず乗ってみたいなという気持ち、帳が落ちる時の客車の後ろ姿、そこには車内が座席が写り、夜汽車の雰囲気が醸し出され「旅」に誘われる気持ちが交錯しました。
このシリーズの次でも、客車の妻側をメインとした作品が掲載されていますが、後から見た客車の魅力・・素晴らしいなぁと思います。
マルーンさま
かつて経験したことのない暑さ・台風が続いています。コメント、ありがとうございます。鉄道に限らず、“後ろ姿”は美しいものです。とくに客車の後ろ姿は、車内灯が洩れて何とも言えないです。今でも“客車”はありますが、あの開けっぱなしの何の安全策もない客車こそ、本物の客車でしたね。