客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈11〉

窓の開く客車

客車の魅力は、いろいろありますが、「窓が開く」のも、そのひとつでしょう。窓ガラスで遮られることなく、ナマの車窓風景をたのしむことができます。この季節なら、走るにしたがって涼風が入って来て、生き返った気持ちになります。最近聞くのは、小海線へ行っても、窓の開かない冷房付きの気動車ばかりで、窓を開けて高原の自然の風を入れたいと聞きます。とくに猛暑の今年、テレビでは「ためらわずに冷房を」と叫んでいますが、暑いときには暑く、涼しいときには涼しく感じる客車こそ、自然の摂理に合った乗り物だと思います。
「窓の開く」のは、自然が感じられるだけではなく、車内外で人と人との交流ができるのも、また客車の魅力です。車内から手を振って、外の人と一時の邂逅を楽しんだ幼い日の思い出は誰にでもあると思います。
クローバー会メンバーとともに、現地で前泊して、甲斐駒ヶ岳をバックにした小海線小淵沢の大カーブの先端にやって来た。イベント用として、C56の牽く混合列車が運転されていた。これは、定期の貨物列車に客車1両を連結したもので、列車番号も183レだった(昭和47年8月)。

大築堤の終端部には、当時流行のアルミバッグや三脚を持参した人間が群がっていた。“SLブーム”も頂点に近い時代で、撮る方も、乗る方も超満員だ。あまりの人出に驚いているのか、それとも励ましているのか、ジャマをしているのかは、分からないが、車内から好奇の目が注がれる。こんなことも、良きに付け、悪しきに付け、また客車ならではだ。

ところ変わって、関西本線の柘植から加太寄りへ歩くと、トンネルの直前、左手に池の見える撮影地がある。もう一人のDRFCメンバーとともに、峠を上って来る京都発の客車列車を待ち受けた。定刻、D51に牽かれた列車がカーブの向こうに見えた。ン! 1両目を見ると、何やら只ならぬ光景が。
窓から上半身を出して、狂喜乱舞する約10名の面々、タオル、ぞうきん、新聞紙を振りまくって、口々に何か叫んでいるではないか。列車の轟音に消されて、何を言っているか分からないが、“アホー”と聞こえたような気もした。列車が眼前を通り過ぎて、納得した。どこかで見た顔と思ったら、すべてDRFCのメンバーではないか。今晩、あの村田屋において、大合宿が行われる日だったのだ。当時、車内から写している人間を見掛けたら、即、窓から首を出して、歓迎の意思表示をする(ジャマをする)のが、当時のDRFCスタイルだった。

このように車両の外と内で、交歓ができるのも、客車の魅力でしょう。こんなオチが着いたところで、「客車のある風景」、終了します。

 客車のある風景 ~フィルムの片隅から~ 〈11〉」への5件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様

    テレビを見ながらウタタ寝をし、目を覚まして『デジ青』を見たら、バックの山に溶け込んだ混合列車。 なんと牧歌的な写真に、目が点です。

    覆い被せる様に山を取り込み、上部には白い雲が有って、それに向って黒い煙が・・・。
    そして列車は、と言うと小ぶりなC56に牽かれた短い編成で、最後にオハフ33 ?が。
    さらに、『これでもか!』とばかり手前の山の稜線がくっきり。
    もっと言えば、その短い列車を画面の下方に意識的に?片寄せたアングルは最高ですネ。

    ところで『窓』ですが、もう一つの想い出がトンネルです。
    必ずと言って良い位、閉め遅れた窓があったり、空席で開けっ放しになったままの窓があったり。 エライ目に合ったものです。

    • 河さま
      御礼が遅くなりましたが、いつも心のこもったコメント、ありがとうございます。うたた寝の目覚ましになれば、たいへん嬉しいです。この構図の写真ですが、実は伏線があり、前年の冬に全く同じ位置で、撮影しています。その時は、快晴で雲も無く、冠雪した甲斐駒ヶ岳の頂上まではっきり見えていました。ここで撮影した写真を、ピクの鉄道写真コンクールに応募したところ、思いも掛けず推薦に入りました。それに気をよくして、同じ位置で撮影をした訳です。この時も、甲斐駒の頂上まで入れていましたが、列車中心のトリミングとしたため、頂上が切れてしまいました。

  2. 総本家青信号特派員さま
    小海線の183レ、そういえばありましたね。小生は撮りに行けませんでしたが、小海線の客レはその当時の新宿からの夜行快速「八ヶ岳高原号」(夏季)や「同スケート号」(冬季)を撮ったことがあります。煙の上がらない下り勾配一方の清里→小淵沢間で新宿行のスケート号に乗ったのが唯一の乗車体験でした。またその頃に塚本和也さん達の運動により復活した混合レもあったように記憶します。時代が下り2年前にはDD16に牽かれた「レトロ八ヶ岳」が走ったので撮りに出かけましたが、野辺山近くで準特急さまとニアミスしていたようでした。
    窓から見た景色では以前にも書いたように、中央東線青柳から富士見間で見た早朝の南アルプスの風景が忘れられません。窓を額縁にした雄大な山並みが素晴らしかったですね。河さまも仰っておられますが、窓には山陰線のトンネルでの開け閉めの繰り返しや、関西線では顔を出していて煤が目に入って往生したことなどの想い出が多くあります。
    ところで身を乗り出したり新聞紙などを振りかざして撮影の邪魔をするなどの行為はいつ頃から始まりましたかねえ。まあ仲間内ですし、撮影が1回パーになっても次々にSLが来ましたから、親しい間柄の挨拶程度の感覚ではありましたが。

    • 1900生さま
      小海線の思い出、ありがとうございます。小海線には、いろいろな列車が運転されていましたね。これも、当時、絶対的人気の観光地の証拠でしたが、その分、いまの小海線の寂れようには目を覆うばかりです。野辺山の観光用のSLも終了のようです。窓から見る景色は、窓枠がちょうど額縁代わりになり、文字通り一服の名画でした。蒸機がトンネルに入ったときの窓閉めもありましたね。ただ、写真には撮っていないため、テーマ設定は見送りました。
      新聞紙を振って撮影のジャマをするのは、いつ頃から当会の伝統儀式?になったのでしょうか。少なくとも、私の入会した時には定着しており、新入会員は、先輩から、窓は何段目まで開けるか、新聞紙の振り方の角度、また新聞紙がない場合の代用品の見つけ方まで、細部に渡って指導を受けました(ウソですょ)。

      • ウソでよかったです。読んでて一瞬ビックリしましたよ。そんな指導を後輩にしたことも、しているのを見かけたこともありませんでしたから(笑)。思うに当会伝統の指導流儀は指導を受けた経験からも「それとなく後輩の関心事につけこみ、うまくそそのかしてごく自然に自分たちの仲間になるように引きずりこむ」というオウムの手法そのものだったのではと確信しております。現在のメンバーはその毒牙にかかって指導がうまく成功した方々ばかりです。おかげでこうして成長させて頂きました。諸先輩方に御礼申し上げねばなりません。もちろん後輩への指導も怠りなくね。

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