救援車銘板の怪

客車に限りませんが鉄道車両には銘板が取り付けられています。外妻や車内クシ桁にネジ止めされている多くは楕円形のプレートで、これによって製造・改造などがわかります。標記されている形式番号の他に現車の素性を知る手かがりにもなります。ですから通常は一度取り付けられたら廃車解体されるまでそのままのはずなのですが、なかにはいつの間にか違う銘板が付いていたという奇っ怪な例をご紹介します。

新見の救援車スエ31 2とその銘板です。1986年5月5日に撮影したものですが、右下の「昭和22年富士産業半田工場」が問題の銘板で、この状態でもなんとなく違和感があります。「昭和22年富士産業半田工場」とは、戦災復旧車の銘板なのです。スエ31 2は戦災復旧車ではありません。
じつはここには「昭和6年梅鉢鐵工場」という銘板が取り付けられていました。それが下の写真です。

1981年4月29日撮影 新見

2枚の写真の間の1983年4月に高砂工場で全般検査が実施されています。銘板はおそらくこの時に取り替えられたと思われますが、いったい誰が何の目的でこんなことをしたのでしょうか。摩訶不思議です。

 

救援車銘板の怪」への4件のフィードバック

  1. 井原実様
    いつもながら興味深い内容であるとともに、「富士産業」という希少な銘板を初めて見せて頂きありがとうございました。富士重工になる前の 戦後の混乱期の短期間の社名だったでしょうから、レアものですね。この新見のスエ31ほどの奇怪さはありませんが、銘板の取り替えは私にも経験があります。宮城県のくりはら田園鉄道を訪ねた際に終点の細倉マインパーク前に保存されているED202の製造銘板が正しくは「昭和25年 三菱三原 No.384」なのですが、運転室反対側の銘板を見ると「No.385」でした。そのあと若柳車庫を訪ねて車庫の中に保管されているED203を見ると、片側は「No.384」、反対側に回ると「No.385」となっていました。車庫の人にそのことを伝えましたが、現役でもない車両の銘板などどうでも良い(確かにそうですが)という反応でした。まさか製造時点から取り付け間違ったままだったとは思えませんが、かと言って自社内でわざわざ銘板を外す必要はないでしょうから、私の中では謎のまま12年が過ぎました。井原様のように戦災復旧車とご縁が深い方には、この手の話はまだまだあるのではありませんか?次なる怪談を楽しみにしております。 

    • 国鉄の機関車でも、EF10 30と31(日立)、DF50 33と34(新三菱重工)の製造銘板が左右で違っていたことが知られています。メーカーのミスですが、新見のケースはミスとは思えませんね。

      • 井原様
        国鉄機関車の事例は初耳です。確かに新見のスエはミスとは考えにくいですね。

  2. 貴方の方には初めてコメント失礼しますが、救援車の後ろの白帯貨車が気になりますが、新見機関区救援車代用のワムハチでしょうか?他に救援車の隣などに写っている白帯車写りの写真があれば良いですが…ネットでいくら検索しても出てこないので…

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