羽村さんが遺したアルバムから 〈8〉

 京福電鉄叡山線

この時代の京福と言えば、木造車のデナ1が代表だろう。1925年、叡山線の開業時に日本車両で1~6の6両が製造された。全長12.3m、片開き2ドアの木造車で、写真で見ると、きれいな木目模様が出ている。前面はタマゴ形の3枚窓、ドイツ・マン製の板バネ台車とイギリス製電装品を搭載しているのが特徴だった。固定編成化される前の原形の時代で、車体もグリーン一色塗りで、その後、2色塗装に改められる〔山端(現・宝ヶ池)、昭和26年〕。

羽村さんの写真をきっかけにして、鉄道模型や京阪電車にと、拡散を見せています。
ひとつのテーマから、各方面の投稿が集まるのも、“デジ青”の真骨頂でしょう。今回は、羽村さんの地元、左京区を走る、“叡電”、当時の京福電鉄叡山線・鞍馬線です。考えたら叡電は、始発も終点もすべて左京区内にあります。ひとつの行政区のなかで完結してしまう鉄道というのも、ほかにはちょっと例がないのではと思います。


比叡山を背に修学院車庫で休むデナ1形、輸送力の小ささから、デナ1形は、昭和29年から片貫通、2両固定編成化され、順次2両固定編成化された。電気ブレーキはなく、もっぱら平坦な叡山本線で使用されていた。昭和39年、デナ500形導入に伴い全車廃車された。私は、辛うじてデナ1形の活躍を撮ることができた世代だが、修学院車庫には、長らくデナ1形の廃車体が、休憩室として置かれていた。デオ200、昭和26年の近車製であり、デビュー直後の姿だ。高校時代、京福で通った身にとっては、デオ200は、華のない地味な電車で、好感が持てなかったが、出力も大きく、収容力もあって、乗務員からは好まれたようだ。唯一のWN駆動で、他車にはない独特の走行音は、すぐデオ200と判別できた。デビュー直後のこの写真は、実に渋いスタイルで、従来の見方が変わってしまった。

 羽村さんが遺したアルバムから 〈8〉」への2件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    小生の中での『デジ青』では、『久しぶりに目を引く投稿記事』に感激しております。
    小生が鉄チャンの現役時代には地味で目立たない『京福』には興味薄でしたが、或る時乗る機会が有って、そのマン丸な前面に圧倒され、京福の勉強もしていないクセにパチパチと撮影した記憶が蘇りました。
    特に、2両連節になった部分には何故か甚く感動しましたが、さしずめ国電では妻面化して鼻先をチョン切ったんではないかと、見慣れない風景が気に成っていた様です。

    • 河さま
      コメントをいただいていながら、お返事が遅くなり、申し訳ありません。私は高校時代3年間、京福で通った口ですが、私も正直、興味を持つことはありませんでした。特徴ある車体や、優れた風景を見直したのは、だいぶ経ってからでした。やはり、少し距離を置いてから見ると、その鉄道の魅力が分かるものだと思いました。
      また“目を引く”ような写真を投稿していきます。

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