羽村さんが遺したアルバムから 〈7〉

京阪電車

四条駅に颯爽とすべり込んで来た天満橋行きの1000系の特急3両編成。まだ鳩マークも無い時代で、赤白の円板の特急標識である。“京阪特急”は、撮影された前年の昭和25年9月、三条~天満橋に所要53分で走り始めた。朝夕2往復のみ、2両編成のささやかなスタートで、特別整備されたロマンスシートの1000、1100形が使用された。その後、中間に1600形が増結されて3両編成となり、まもなく写真のように、1500形に変更された(昭和26年4月)。

“羽村さんシリーズ”、また続けます。阪急、京都市電、バスと来て、つぎは京阪電車です。京都市左京区に住まわれていた羽村さんにとって、京阪電車は、いちばん近い郊外電車で、興味を持つようになるのも自然な成り行きだったのでしょう。撮影されたのは昭和26年、車両としては、赤と黄色の京阪特急色の1700系がデビューする前後で、私にとっても、記憶に残る以前の時代で、大変貴重な記録です。

特急は、昭和25年12月の改正で、朝に三条発4本、夕に天満橋発4本に増発されたが、日曜・祝日は運休で、純粋に通勤用としての特急だった。そして、昭和26年4月から終日運転となり、写真のように、昼間に三条駅で特急が発車を待つシーンも見られるようになった。史実と異なると思われるのは鳩マークで、書物では、特急に鳩マークが装備されたのは昭和27年7月からとなっているが、この撮影日は、アルバムによると、昭和26年4月とあり、1年以上の開きがある。先行試作されたものを装備していたのだろうか。

 

 

 

 

昭和26年4月の特急の終日運転により、初めて特急線用車両として1700形+1750形の2両固定編成が、5編成新造された。塗装も“京阪特急”を強く印象づける赤と黄色の派手な塗装となった。団栗橋から三条行き特急をとらえる。鴨川の水も清く、子どもの海パン姿が見える。右手の白いテント、京都人ならピンと来るだろう。日付を見ると8月24日とあり、地蔵盆のテントだろう(昭和26年8月)。

丹波橋の通過線を行く三条行き特急。こちらの特急標識は旧型で、同じ昭和26年の撮影であり、やはり新旧の特急標識が並行して使われていた時期があるのだろうか(昭和26年8月)。一見して七条駅かと思ったが、四条駅と書かれている。土手に植樹される前には、南座前からも撮影できたのだ。戦後の規格型電車1300系の急行3連(昭和26年8月)。更新前の500形による、直行の天満橋行き、「直行」とは、守口~蒲生(信)ではA線(急行線)を通過運転する各停のこと(昭和26年4月)。

 羽村さんが遺したアルバムから 〈7〉」への1件のフィードバック

  1. またまた自分コメントです。
    ここにも当時の丹波橋駅が載っています。やはり待避線を持つ構造でした。

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