【100540】 羽村さんが遺したアルバムから 〈6〉

京都市営バスのトレーラーバス、進駐軍が持ち込んだ大型車両をヒントにつくられ、戦後混乱期の大量輸送に、京都でも活躍した。昭和22~24年の短い時期につくられたが、取り回しがよくないため昭和30年前後には姿を消した(昭和26年3月)。

羽村さんは、京都市電撮影の合い間には、バスも撮っていました。多くは、近くの銀閣寺前付近で撮られています。戦後5年が経過すると、京都見物に繰り出す余裕も出て来て、銀閣寺付近には、遊覧バスや貸切バスが集まって来ました。この時代、市電の撮影者は見られたものの、バスの撮影はたいへん少なく、貴重な記録です。そう言えば、乙訓老人も、地方私鉄へ行った際には、駅前でバスを写してから、カメラを仕舞ったと述懐されています。ちょうど、京都市バス事業は,昭和3年5月に出町柳から植物園を結ぶ2.5kmの路線で開業して以来、今年で90周年を迎え、今月にはさまざまなイベントが実施されます。


銀閣寺バス停での京都市営の路線バス、ふそうB1型と呼ばれる大型のボンネットバスで、昭和21年の製造。タテ形の行き先札をフロント右に差し込んである。これを見ると「西大路○○-銀閣寺」とあり、○○は四条だろう。いまの3号系統バスの前身に当たる。
こちら2点は、京都市営の定期観光バス、登録番号は一番違いであり、後部が流線型になった独特のスタイル。車内には白いカバーが掛けられており、当時としては豪華な室内で、ハンドルも左ハンドルだ。もしや輸入車?と思い、改めてネガアルバムを見ると、乙訓老人の字で「シボレー」と書かれていた(昭和26年3月)。

この時代の登録ナンバープレートは、昭和26年8月の運輸省令で定められた。登録都府県の頭文字、車種分類番号、登録番号の順となる。ナンバーの横寸法は、桁数に応じて異なり、東京都のみ府県名はなく、車種分類番号からはじまった。橙色の新様式による登録は昭和30年から。
▲京都観光バスの貸切バス、「旭」の愛称が見える。ちょっと奥目のフロントは「CONDOR」の特徴。富士重工と民生産業が共同開発した量産型リアエンジンバスで、昭和25年からデビューした。
京都観光バスの貸切バスの後部、独立2枚窓で、ひとつ上のバスとは2番違いで、同じ「CONDOR」だろう。なお、京都観光バスは、現在でも同じ社名の事業者があるが、別ものである(昭和26年3月)。
こちらは京都観光バス、いすゞのボンネットバス。「羽衣」の愛称が見える(昭和26年3月)。
ボンネットバスと同じフロントエンジンのシャーシに、箱形車体を架装したキャブオーバーバスは、遊覧バスなどに重宝された。京都市営バスの当時の塗装は、クリームに青地だった。現在の京都市営バスの塗装は、昭和30年ごろから採用された(昭和26年3月)。
こちらは、京阪バスのキャブオーバーバス。「定期観光バス」の表示が見える(昭和26年3月)。
滋賀県から来た近江鉄道のキャブオーバーバス、「KINTETSE BUS」の文字が見える。近江鉄道の略称は「近鉄」で、今でも駅舎の表示にも見られるが、これは「おうてつ」であるとの説もあるが、当時は「きんてつ」だったのだ(昭和26年3月)。

 羽村さんが遺したアルバムから 〈6〉” への6件のコメント

  1. 羽村さんの書かれた青信号「京都市電雑感」には、興味深い内容が満載ですが、市バスについても初めて知る事柄が載っていました。それは、昭和24年から、“特急バス”を走らせていたことです。上記の銀閣寺から、京都駅前まで、朝に2本運転されていたもので、途中の停車は、百万遍、熊野神社前のみ、道路も十分に空いていた時代のこと、百万遍~京都駅前を11分で走った、と報告されています。このほかにも、上賀茂神社前から京都駅前へも“特急バス”が設定されていました。ところが余りにもブッ飛ばすので陸運局から注意を受け、その後廃止されたと言うことです。たしかに百万遍から11分というのは驚異的な早さの市バスです。でも、当時の交通局の心意気は、見習いたいものです。

  2. 今回のバスに限らず、国宝級の写真の連発に圧倒されています。古い鉄道車両については、鉄道博物館をはじめ各地でそれなりに保存されているのに比べ、バスは殆ど残されていないように感じます。福山に時計と自動車博物館があって、何台かのボンネットバスがあり、一部は動態保存されていて時々走りますが、何分個人運営の博物館ゆえ本業(不動産業)が傾くとどうなるやらわかりません。せめて全国に一ケ所でも良いので公営のバス博物館があってもよさそうに思います。(ひょっとしたら既にある?)

    • 西村様
      コメント、ありがとうございます。バス、とくにボンネットバスは動態保存もされていますが、おっしゃる通り、個人や民間のボランティアに依るところが大きいです。公営でバスだけの専門博物館はないと思いますが、市電博物館に併設して、バスも保存展示しているところはあるようです。ユニークなのは神戸で、ボンネットバスを動態保存していましたが、老朽化で廃車、代わって、そっくりのボンネットバスを新製し、今でもイベントなどで動いています。

  3. 懐かしいです。トレーラーバス!
    幼き日に四条烏丸で「チラッ」と見た様です。
    そして丸物(京都駅前に有った百貨店)の包装紙に絵文字の様なモチーフで描かれていたのを覚えています。

    • 鉄鈍爺さま
      懐かしい話を聞かせてもらいました。私はトレーラーバスは見たことがないと思っていましたが、鉄鈍爺さまの目撃談を聞いて、自分も“チラッ”と見たような幻覚にとらわれています。丸物の包装紙にこんなものがあったのですか、それは知りませんでした。丸物がなくなる時に、資料展が開かれて見に行ったことがあります。その時に包装紙の変遷も展示されていましたが、気が付きませんでした。

  4. 実は観光バスの「旭」号も、思い出深い車両なんです。
    と言うのも、その昔、大内山って大関が居ました。長身細身で突っ張りや吊り技が得意な力士でした。太い眉毛の下で目が凹んでおり、当時の白黒テレビで、やけに眼窩が黒かったんです。
    そこで「旭」号と大内山関が、脳内でリンクしたのでした。 (苦笑)
    その後、昭和31年(1956年)に東海道線が全線電化してEH10-1も関西へ来ることになり、EH10-1も同一カテゴリーにパターン化しました。

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