【100194】 羽村さんが遺したアルバムから 〈1〉

またまた投稿が開いてしまいました。腰を落ち着けて投稿することにします。デジ青では、米手さんによる、献身的な電子介護が続いています。見ることが叶わなかった会内外の貴重な記録が、本欄でよみがえり、改めて、そのご苦労に讃辞を送るものです。
私も、もう一人、天に召された会員のネガを預かっています。それは、昭和44年に、37歳の若さで亡くなられた、羽村 宏 さんです。羽村さんといえば、青信号初期号で、京都市電の全系統をカラーインクで色分けして、一枚ずつ手作業で系統図を作られた伝説の人です。私とは年代が違い、お会いしたことはありませんが、亡くなられた時、私は青信号22号の総指揮をしており、OBからの一報で、出来上がり直前の青信号を止めて、急遽、訃報を載せたことを覚えています。
羽村さんは、お住まいの左京区吉田にちなんで“吉田急行電鉄”と名付けられた、鉄道模型・レイアウトが主な趣味でしたが、写真も昭和25年から撮られています。これらの写真・ネガは、親しかった乙訓の老人宅で静かに眠っていました。ある時、老人の自宅へ遊びに行った時、「これ、おまえが保管せぇ」と渡されたのが、この青いネガアルバムでした。2004年のことで、以来、10年以上が経ちますが、預かった私も、一部は、出版に使わせてもらったものの、ネガのスキャンもせず、眠ったままでした。
このことを、老人に相談しますと、“すぐにでもデジ青に発表してくれぇ”と、強い口調で激励され、電子介護の一環として、発表することにしました。預かっているのは私であっても、羽村さんの遺された写真は、クローバー会共有で受け継いでいくべきものと思っており、ならば、“デジ青”での発表がもっとも相応しい媒体だと思うに至ったのです。羽村さんが遺された青いネガアルバムは二冊、B5ヨコ型で、1ページに8点のセミ判のネガが収められ、二冊で300点余りのネガがある。鉄道模型を写されたものもあって、実物の鉄道写真は200点程度だ。いまのデジカメなら、半日で撮ってしまいそうな点数だが、羽村さんは、約5年掛けてじっくり撮られた。決して寡作ではなく、この時代の撮影スタイルはこんなもので、一枚一枚、心を込めて撮られたのだ。

羽村さんの人柄については、1989年発行の「関西の鉄道」20号に、乙訓老人によって、紹介されている。ここに紹介しておこう。
「故・羽村宏兄は、熱狂的な阪急京都線ファンであった。旧制中学入学・新制高校卒業の年代ならば、新京阪デイ100が超特急で走っていた頃の姿を幼心に植え付けていたのだろう。(中略)本号の企画が“阪急京都線”であることを知り、私たち同志社大学鉄道同好会OB会有志は、彼のアルバムから、彼が最も好きであったデイ100を中心として選び出してみた。20年前、彼が黄泉の国に旅立つ時、私たちは「吉田急行電鉄デイ100」を胸に抱かせ、見送ったのであった。」 京都市電700型が新製された頃、壬生車庫での羽村さん

羽村さんの初めての撮影は昭和25年3月から始まっている。カラーインクで系統図を書かれた几帳面さは、このアルバムにも反映されている。一点ずつに、「503-23」と言った数字がゴム印で律儀に押されている。アタマの3桁は、西暦下二桁+月を表わし、503の場合は、1950年3月を表わし、ハイフン以下は通し番号だ。撮影の時刻までも書かれているものがある。撮影されたセミ判のカメラ名は不明で、フィルムもこの時代のこと、一部には映画フィルムを流用したと思われる分厚いものもある。感度は著しく低いから、ブレブレである。しかし、写真フィルムで撮られたものは劣化もなく、たいへん鮮明で、70年近く前の撮影が見事によみがえった。

 羽村さんが遺したアルバムから 〈1〉” への5件のコメント

  1. 羽村さんのお名前は、鉄道模型趣味の特集号で、「故羽村宏作品」という自由型デザインのフリーランスの電車の製図デザイン記事で知りました。
    1973年頃に、夭折された鉄道ファンは少なく、情報も入って来ない時代だったので、九州の片隅で、そんな方が居たのだなあと、想像し思い残したことも多かっただろうと、中学生は思っていました。
    後に同志社に来て、名前は知っている鉄道同好会に入ることになりましたが、他にもやりたいことはありましたが、いろいろな方に会えて良かったなと思います。
    青信号の巻末を見て、歴代の先輩の名前に目を通し、羽村さんがOBであったことを知りました。
    その後入手した、古いスタイルブックなどに羽村さんのデザインした車両が入選しているのに気付いたり、人柄を偲べるような気がしたこともあります。
    私は1950年頃からの、鉄道模型趣味と電気車の科学を、若い頃に大量に入手し、今も持っています。それを見ると、実物と模型が、二人三脚で進歩していた時代があり、これから登場する電車のデザインを自由に描いて、模型化した時代のことを、とても羨ましく感じることがあります。
    今はスケールモデル一辺倒で、子供の頃のような「自由型」のゆるい楽しさは皆無に近い。
    昔はB型やD型の電関で、走らせたものでした。その自由型の無い模型界は、息苦しくなった社会に似ているような気がします。
    もしも羽村さんが存命だったら、どんな感想を今の世の中にお持ちでしょうか。ふとそんなことを思ったので、コメントを書かせてもらいました。

    • KH生さま
      いつもコメントありがとうございます。そうですね。私たちの世代、模型を始めるとしたら、まず自由型でしたね。幼稚で稚拙という否定的な考えでは無く、文字通り自由な発想で、伸び伸びしていた時代の所産であると私も思います。KH生さんらしい考えに共感します。
      私も鉄道模型趣味で、「羽村宏」の名を見たことがあります。ちょうど模型を始めた中学生のことだろうと思います。

  2. 羽村宏さんは私が当会入会の切っ掛けになった諸先輩執筆による鉄道ピクトリアル連載の京阪電鉄特集でお名前を存知あげていました。デイ100がお好きだったのですね。そういえば同じピクトリアルでも阪急特集ではその最大の特徴であった幌付きのデイ100の特急等を発表されていたことを思い出します。37歳という若さでお亡くなりなりさぞ残念なことであったと思います。私も羽村さんの倍の年齢に達しました。同じ年代に近い総本家さんがこういった先輩方の作品をデジ青上で発表されていることに頭がさがります。

    • 準特急さま
      コメント、ありがとうございます。「原型の幌付き」「特急」のデイ100は、阪急ファン最大の憧れだろうと思います。以前のTSURUKAMEさんの投稿でも、その一端が発表されていますが、今回、改めて一点ずつスキャンして、それ以外にもあることが分かりました。追々、発表します。
      本日、宇治山田へ行く車内でも、米手さん、乙訓老人、鉄鈍爺さんらから、デジ青への“愛”を、口角泡を飛ばして聞かせてもらいました。これからも頑張ります。

  3. 泡を飛ばさずちょっと関連の思い出でもキーボードに託して下さればそれで結構です。

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