吉田急行電鐵を訪ねて

元祖青信号特派員氏が「羽村さんが遺したアルバムから」シリーズで、羽村宏先輩が撮影された貴重な写真の数かずを紹介して頂いており、毎回驚きをもって拝見しています。同シリーズの第5回目で宮崎繁幹様からのコメントなどに羽村氏の作られたレイアウト「吉田急行電鐵」がTMSに掲載されたとの記述が出てきます。宮崎様と同様に、私も本棚を探しましたところ、幸運にも見つけることができました。TMS32号ではなく、再録された昭和38年4月10日発行の「レイアウト・ブック」の方です。発行から50年以上を経ており、著作権問題にも抵触しませんので、そのままスキャンして デジ青読者にご披露することにしました。

レイアウトブックP.34

レイアウトブック P.35

記事はこの2ページだけですが、羽村氏が新京阪デイ100が大好きなこと、架線のないところに電車が走るのは理にかなわないと、架線柱を建てて糸で架線を張ってあるなど 氏の人となりを垣間見ることができます。

この「レイアウトブック」の表紙もご紹介しておきましょう。

TMS特集シリーズ第2集

昭和38年4月10日 機芸出版社発行 B5サイズ66ページ 170円

お会いしたこともない大先輩ですが、残して頂いた写真や記事のおかげで、世代を超えてしっかりつながっていることを感じることができました。

 

吉田急行電鐵を訪ねて」への2件のフィードバック

  1. 西村さん 貴重な羽村先輩のTMSに載った「吉田急行電鐵」の記事を公開していただいてありがとうございます。例によって図書館でTMS32号を閲覧したいと思っていました。記事の内容を読んでみると、今ではHOゲージはDCモーターですがこのころはACモーターを使っておられたのですね。どんなモーターかとネットで調べてみると古い鉄道模型を持っておられる方のブルグでカワイ製の80系の電車に組まれている写真がありました。OゲージのACモーターを小型にしたようなものでした。ところで1か所、あれっと思ったところがありました。「モーターは鉄道模型社製のAモーター、上部軸受にスナップ(普通のもの)をつけ、屋根に付けた相手とパチンとはまります。これが中心ピンになるわけです。」というところです。これから考えると車輪への駆動はどのようにしていたのでしょうか。まさかベルト駆動?糸の架線といい、いろいろ工夫されている羽村先輩のことが思い浮かびます。ところで簡単にできると思った、京福デキ6のプラキット。簡単なキットほど簡単にできないのです。あともう少しが・・・ああ~

    • 当時はインサイドギヤー(これ、もう死語?:苦笑)が高価だったので、ウォームで減速し回転軸転換→プーリー駆動ってのが一般的だったかと思います。
      でも金銭的余裕の無い学生生活とて、モーター軸が台車中心を兼ねているので、ゴムバンドを8の字に巻いて両軸駆動てな方式にされていたかもしれません。
      この場合は車軸側を太くしても減速比は1/2~1/4程度にしかならず、運転に苦労されたと思います。

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