関三平先生から会員諸氏へ

11月22日投稿の【102177】『近鉄ファンへのプレゼント!・伊勢電鉄モハニ231』に関して宮崎繁幹様から「モニ6231の前側部窓下のプレートは何か?」との質問がありました。私がハガキで先生にその旨をお尋ねしたところ、本日封書でご回答を頂きました。いつもの通り、達筆の長文ですので僭越ながら要約して掲載させていただきます。なお、INUBUSE氏から「近鉄社章と型式、定員、自重を刻印した鋳物のプレート」との回答を頂いております。
本文はいくつかの話題に分かれて書かれています。

拝復、
「昭和の電車」は新聞社の都合で月一回に“減便”されたためモチベーションも低下し、モハニ231も気に入らぬところやマニア的には明らかな間違いも生じており、デジ青でのヒットはありがたくも、また、申し訳ない気分にもなっております。

《プレートに関して》
さて、お尋ねのモニ6231のプレートですが、すでに何方かが答えておられるとおり上から「近鉄マーク・型式・自重」などが表示されたもので、伊勢電のころには別形式の表示で、大鉄時代のデホニも然りでしたが、一方大軌のデボや参急のデトニ等には同様のものが付いていたことから強引に本家(大軌・参急)流儀を併合会社に押しつけたようです(ここらは阪急とは対照的です)。ただこの表札は各線区ごとに取り付けてある箇所が違うあたりは被併合会社のせめてものレジストでしょうか。近鉄全体が電動車を「モ」に統一したことから「デトニ」表示は削り取って「モ」とペンキ書きしてあったのも思い出です。
なお、自重などは虚偽表記の「48㌧代」のままでした。これも新京阪のP-6が、戦後実数値近く(41㌧代→51㌧代)に書き改めたのとは対照的です。

《羽村さんに関して》
羽村さんの記事はとても興味深く読ませてもらいました。
羽村さんは私の十代後半から印象に深く残っている方なのです。
当時はP-6もレジェンド的な存在ではなく、私自身は重度の『P-6馬鹿』でしたから、“なぜこれだけの車が実力相応に評価されないのだ”と不満に思っておりましたところ、小判型だけのシンプルなレイアウトではありましたが、特急・急行・各停全てP-6で固めた「吉田急行電鉄」にはいたく共感して、そのうちお会いできることと楽しみにしておりました。
しかし、その後テッチャン界とは縁を切った(?)せいもあり、いつしか故人となられた事も何処からともなく耳にしておりました。もし生きておられたなら、こうしてDRFC-OBの皆さんとご縁ができた今、それこそ「P-6馬鹿」の二人でとても楽しい時間を持てたであろうにと返す返すも残念です。

《昭和の電車について》
イラストについては掲載後の諸兄、特にヘビーな方からの解説は楽しみです。
だいぶ前になりますが『近鉄南大阪線5201系』などは(私のマニア期は昭和三〇年代一杯くらいですので)その後の変遷はとても興味深かったです。
モハニ231のヒットに対して、前回の10月25日【101395】『参急デニ2000』が不発だったのは残念です。
小学生のころその存在を始めて知ってすっかりファンとなって、我が「新名阪鉄道(HO)」でも殆どそのままの形で登場させたいと思った数少ない車です。高校生になってモニ6251として実見、思ったよりブオトコでいささかガッカリしましたが、イラストは一番かっこよく見える角度で描いた(つもりです)。
その後、名古屋線流のヤボな改造で見るも無惨なノッペラボウになってしまい大いに憤慨したことを思うと、やはり私の愛する電車であったようです。

《終わりに》
ターちゃんのことも気になっております。
お尋ねの彩色の件についてもお話しさせてもらいたく思っています。(かえって聞かれてガッカリされるかもしれませんが)是非お気軽にお誘い下さい。
それではお会いする日を楽しみにしております。
皆様にもどうかよろしくお伝え下さい。

関三平 拝

 

関三平先生から会員諸氏へ」への9件のフィードバック

  1. 米手作市様
    関 三平先生からのお手紙を拝見させていただきました。有難うございます。以前お話があったと思いますが関先生の若き日の鉄道趣味上の友人が私の会社の先輩です。出版されたりして趣味上の実力は相当なものです。その先輩とは職場が異なりお互いに声をかけることが無かったですが最近になって会社のOBで老鉄会なる趣味の会を立ち上げ、先輩の作品を見せていただくことが多くなりました。先輩は枚方の出身で高槻へ通学され関先生と行動を共にされたようです。よく駅で撮った車両写真に写ったホームの端でしゃがんで撮影されている学生を指さして「これ関や」とか「彼はよう勉強できた」と言われました。ところで先生言われる参急2000は誰か写真撮っているだろうと思っていましたがコメントもなく私も残念に思います。今回の5820元かもしか号の晩年の姿くらい誰か持っているであろうと思っていましたがどなたからも出てこなかったので拙作を出した次第です。しかし、色のことで盛り上がったのは結構なことです。また、近鉄の2200は本当の重さは表示されているのと違うと聞いたことがあるような気がしますが、阪急元新京阪100は私の記憶では52.4屯と車体に表示されていたように思います。私はヘビーではなく単なる軽量級撮り鉄ですが、これからも関先生の作品に少しでもくらいついていきたいと思っております。なお、会社の先輩は私と同じ八王子市に住んでおられますが、元々関西人で京阪電車、京福電車等々DRFC諸氏のお好きな車両の昭和30年代の姿、それもカラーも多くありますのでホームカミングデイの総会ででも発表お願いしているところです。

    • 準特急様、
      私がもっとお手伝いできれば良いのですが、私鉄に興味がなかったため写真を撮っていません。お力添えをいただけたら幸いです。
      ところで貴兄の先輩氏はこちらへ来られることはないのでしょうか?
      もし機会があるなら関先生との飲み会を企画しますので同席頂けたら楽しいのではと思います。

  2. 米手作市様
    ご本人に確認しますが、先月初旬も御尊父様の50回忌で大阪に戻られたと聞いておりますし、同窓会で帰られることもあるようです。また、関先生は以前DRFCホームカミングデイの総会で関西の電車を中心に作品そのものを持参され講演して頂きましたが、あの日は先生の同窓会があったとのことですが、DRFCの方が面白そうだとDRFC講演を優先されたやに聞いております。また、友人である私の先輩は東京駅でのC62旅客列車も撮影されており、客車や蒸気機関車に造詣の深い米手作市さんも目がぎらぎらとされることと思います。確認してみましょう。

  3. 米手様には、小生の細かい質問につき、わざわざ関 三平先生に、書面でお問い合わせ頂いたとのこと、誠にかたじけなく御礼申しあげます。近鉄ファンの皆様には、とっくに自明のことでしたでしょうか、お蔭様でたいへん勉強をさせて頂きました。一枚のプレートにも、歴史とそれに纏わる挿話があることが、よく判りました。

    • 宮崎繁幹様
      先日はありがとうございました。
      関先生はメールをされていません。それに夜間にお仕事をされていて、お昼はお休みとのことですから郵便しか連絡できないのです。その代わり大変ご丁寧なお返事をいただけることになります。このホームページはご家族のスマホでご覧になっているとのことですが、皆様からの書き込みには大変ご興味をお持ちです。

  4. 宮崎繁幹様
    ご無沙汰しております。京都市600形等々ではいろいろと古い情報を有難うございます。京都ではお会いできず申し訳ございませんでした。DRFCでは大手私鉄は京阪、阪急、近鉄あたりが人気で阪神、南海あたりがやや人気薄と言った感じでした。宮崎さんは小田急、京王がお好きだと伺っておりますが東京の各鉄研はどのようなものであったのでしょうか。

    • 準特急様よりお尋ねありましたので、簡単にお答え致しましょう。小生は早大鉄研のOB会(稲門鉄研)の世話役をしておりますので、早稲田のことは、多少知っているが、他大学については存じません。また小生の在学期間は、ちょうどSLブーム真っ盛りの頃で、私鉄電車ファン?、と云う感じもありました。それでも地元と云うことで、西武はまぁ話題に、なっていました。また自宅通学の会員は、やはり地元の電鉄贔屓に、なるものです。一般的には、関東の大手私鉄では、京急と小田急がファンが多いとされております。しかし、卒業後に東京を離れ、近鉄や名鉄に奉職されたOBもいます。鉄道ファンも、歳をとるにつれ関心を持つ分野が変わることもありましょう。最近のピク近鉄特集号に、記事を寄せているT君は、学生時代の守備範囲は、切符コレクター&乗りつぶしでした。しかし今や、立派な記事を書くまでになりました(よいしょ終わり)。デジ青の皆様には、引き続き宜しくお願い申し上げます。

  5. 宮崎繁幹様
    国鉄(JR)と見慣れた地元の私鉄が好きだと言うのが一般的ですね。車内蛍光灯にカバーをつけ、コンパウンドカテナリー架線の下を高速で走った関西系の電車に対して失礼ながら焼け国電を再利用したような車両が多かった西武鉄道はカメラを向ける気がしませんでした。しかし、同社初のカルダン車601系が国鉄DT21台車を履いて新車デビューした時にクハがTR11であったことを思い出します。こういうのをもっと撮っておけばと今となっては悔やんでおります。歴史的な経緯も異なり関西では梅田、難波など大ターミナル駅がありますが、関東では近年駅舎に素晴らしいものが増え、また、東京一点集中の影響か各社10両等長編成が中心になっています。最近は国鉄時代の車両を追いかけるファンが多いようですが、C62よりもEF65が好きだとかいう若者もあり時代も変わってきたと痛感しております。そういう私も輸入蒸機にはあまり興味がなくやはり自分にとって関わりのある時代の車両に興味があるのは当然のことなのでしょう。

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