淡路鉄道→淡路交通

佐渡ヶ島には長岡鉄道が免許を有しており(両津-相川町、762mm、1926年5月1日免許)、1067mm線に我国最初のディーゼルカーを注文して舞い上がった長岡鉄道は、納品(1928年12月)もされていない1928年2月23日、「佐渡線起業目論見書記載事項中動力蒸気ヲ重油ニ変更」を申請し、4月9日認可。しかしこの線は結局着手に至らず失効した。

従って我国で旅客貨物営業の「島の鉄道」は、沖縄を別にすれば淡路島が唯一になる。淡路鉄道は1912年10月25日免許、開業は宇山-市村1922年11月26日、市村-賀集1923年11月22日、洲本-宇山1925年5月1日、賀集-福良1925年6月1日で、全線23.1km。勿論動力蒸気、軌間1067mmである。

機関車はコッペルC、13tが3両、鉄道省1047(ポーターC、18t、形式1045←長州鉄道)、客車は播州、揖斐鉄道のお古で2軸車ばかり。元をただせば南海やら山陽やら。孤立した鉄道だから、連結器が螺旋連環のままで自連換装も必要なかった。明治村の蒸気動車(現在JR東海が自前博物館展示のため引き揚げて整備中)が装着していた螺旋連環連結器は、展示復元に当って名古屋鉄道が淡路交通から貰い受けたものである。

ガソリンカーは1931年以降。川崎と日車のボギー車が計6両いた。敗戦後燃料入手難と高騰に困窮し、600V電化したのが1948年2月11日である。ガソリンカーの機関に換えモーターを装着し、プロペラ軸で駆動したのが知られている。他に南海から古色蒼然たる電車の供出提供を受けており、米手作市氏紹介の丸妻5枚窓電車がこれである。

お後は乙訓の爺様の受け持ちじゃろ。ハイさいなら。よいお年を。

淡路鉄道→淡路交通」への1件のフィードバック

  1. 湯口先輩のお話を読みながら川畑君に、「こんな立派な鉄道が淡路島にあったのを知ってるか?昭和41年まであったんやて。知らんかった」と言ったら、明くる日出勤して見ると、机の上にファン60号(昭和41年6月号)が置いてありました。
    しおりの挟んであるページを見るとなんと「カメラ鉄道のりある記・島の電車-淡路交通」があるではありませんか!
    余談ですが川畑君には優れた才能があります。一言言えばその日時、場所、天候、はたまた星の巡り合わせなどなんでもわかります。彼の手帳は「デスノート」かも知れないと密かに怪しんでおります。
    道村博氏、五十嵐六郎氏の共著になっていますが、写真も豊富でよくわかりました。しかし、廃止直前にもかかわらず一言も触れてないのが不思議です。

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