客車廃車体訪問記 内地編70 兵庫県-3

【ブルートレインキャンプ場】 34.810668, 135.297039 2013年1月5日撮影
ナハネ20 239
ナハネフ22 25
高校2年の遠足が蓬萊峡だった。クラスの誰が発案したのか知らないが、宝塚駅から往復徒歩で文字通り「遠足」であったが、不思議と文句をいう奴や落伍した奴はいなかった。先年の福知山線廃線跡ハイクで大多田橋を通ったが、そこからの道路に歩道がないので現在はとても危険で不可能であろう。
このキャンプ場は蓬萊峡の近くで、県道51号のヘアピンカーブ付近に阪急バス「座頭谷」停留所があるが、これ以外にここにやって来る手段はなさそうである。客車以外に貨車が多数いて、車掌車なのに「ハワム583422」(書体は本格的である)と標記してあったり意図が不明なものもある。
最近キャンプ場をGoogleマップで見ると、上の画像2両のうち右のナハネフ22 25がいなくなっているように見える。
◆ナハネ20 239(1968年新製 日車)→1998年廃車
◆ナハネフ22 25(1963年新製 日車)→1998年廃車

客車廃車体訪問記 内地編70 兵庫県-3」への6件のフィードバック

  1. 井原 実様
     宝塚の蓬莱峡にキャンプ場があり、そこに20系車両があったとは!恥ずかしながら知りませんでした。
     急カーブの道を通ったり、山歩きで近くを歩いたことはありますが、気づきませんでした。
     グーグルの航空写真は確かに客車は減っているようですね。
     話は変わりますが、弁天池にボートが浮かんでいた時代があったことをお教え頂き有り難うございました。
     これからもいろいろご教示ください。

    • ありがとうございます。
      私は行ってみるまで「小林」を「おばやし」と読むことを知りませんでした。

    • 屋根は一番痛むところなので葺き替えていますね。心情的にはどこも変えてほしくありませんが。外から見て車内は殆ど変化ないようでした。

  2. 井原 実様
    高校時代の井原さんの健脚なら宝塚から蓬莱峡に行くのは訳ないですよ。私たちは小学校の遠足で行きましたが、生瀬あたりは開発されましたが、蓬莱峡は群馬の妙義山のようなギザギザの山容のような記憶があります。映画のロケ地になったこともあります。井原さんと言えば保存客車! 先月21日に孫の送り迎えで小田急の和泉多摩川に行ってきましたが、近くの生田緑地に保存されているD51408とスハ422047水ミトを思い出し拝んできました。同じ写真で恐縮です。

    • 小学校で宝塚~蓬萊峡を徒歩の遠足は少し厳しいのではないでしょうか。
      仰るとおり、群馬県の周りの山は険しい形の山が多いように思います。
      貴重なスハ42は相変わらず綺麗な状態のようですね。ありがとうございます。D51 408も元気でしたでしょうか。近くに古民家もありますし、川崎市が羨ましい。

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