南海鉄道「汽車ホテル」
訪問記と称しているが、番外編として実見していないものを紹介する。
今回は、小生所蔵の110年前(明治41年)の絵葉書2点である。
▼絵葉書①
南海発行の社史『開通五拾年』、『南海鉄道発達史』、『南海電気鉄道百年史』・『南海沿線百年誌』に記述と写真(絵葉書②と同じ)があり、簡単にまとめると、
1.本邦最初の食堂車を発想した大塚常務のアイデア
2.場所:大阪湾を望む松林の愛宕山丘陵
3.車両:阪堺鉄道の客車を改造
特等1車1室1時間1円 1両
並等1車2室1時間50銭 7両
4.ダブルベッドの備えもあって大いに人気を呼び常に利用者満員の盛況であった
5.事情あって一夏のみで廃止された
6.大型廃物利用の見本みたいなもの
といったところである。
また、『鉄道時報』によると以下のようである。
A.従来不用の特等客車5両並等客車5両。場所は淡輪遊園(ママ)場付近の山腹。食料品は園遊場指定の飲食店と特約し供給…4月4日第446号
B.客室には茶器火鉢、煙草盆、座布団及毛布等を備付け1室定員特等2人並等は1人とし夫れ以上同伴者の同室は随意とし午前(ママ)5時より翌午前9時迄1人に付特等80銭並等40銭1人を増す毎に4分の1の割増を要する又午前9時より午後5時迄即ち昼間は1人に付特等60銭並等30銭とし引続き逗留する者には昼間の借室料を半減し茶代等は一切固辞し極めて懇切丁寧に取扱…5月16日第452号
C.当社直営の洋食店を設置…6月20日第457号
D.期間は明治41年5月20日~11月10日…9月26日第471号
E.(汽車ホテル廃止後、)浜寺公園北部に客車を並べ、11月15日から25日まですべての設備を縦覧せしめる…10月31日第476号
これらをみると、
◆3.の料金は間違っているようである。
◆3.とA.で両数に差がある。絵葉書①②では総数の確認はできない。
◆5.の「事情あって」とは何なのか、不名誉なことらしく言葉を濁しているところがどうも怪しい。明記できないからには、不適切な目的の利用者がいたのではないかと余計な想像をしたりするが、『朝日新聞縮刷版』には何も記事が見当たらない。地元の図書館かどこかにローカル紙・ローカル版でも残されていれば確認できるかもしれない。
◆山の斜面に多数の車両をどうやって運んだのか(レールに乗っている。それも1本ではない)、夜間の照明(車両間に電線が見える)・水道・トイレ・夏の暑さや蚊対策などどうしていたのであろうか。
◆客車のこちら側は窓が多く扉が見当たらない。海側の眺望のため改造したようで、『阪堺鉄道経歴史』の形式図と見比べて見当がつかない。絵葉書①には窓の少ない客車も見える。乗降用のプラットホームはなく、山側に階段があるのかもしれない。絵葉書①は、手前の坂を上っていく人々がいる。
これで蒸機を連結していたら、現代のSLホテルと変わらない。
現在は桜やツツジが美しい、海のそばの公園である。
なお、本稿と関係ないが、1.の「本邦最初の食堂車」はおかしい。