関西の蒸機を巡る  ~小浜線~  ①

新ネタも“デジ青”に載せながら、カビの生えたネタも仕入れて変化をつける。これが、高齢趣味者の定めと自覚し、色ものはしばらく休んで、蒸機ネタと参ります。以前、本欄で九州、北海道の機関区別の蒸機をお伝えしました。「本州はないんかいな」との声も聞きます。もちろん撮っていますよ。ただ機関区別に見ても、本州は、結構蒸機の運用範囲が広くて、まとまりを欠きますし、地域的なムラもあります。そこで、線区別に見ていくこととしました。

約50年前、日帰りでも行ける関西地方にも多くの蒸機線区がありました。それらを、順に紹介していきます。最初は、敦賀と東舞鶴を結ぶ「小浜線」です。その小浜線、ことしは全通100周年に当たります。先日は、丹鉄の「くろまつ」が初めて小浜線に乗り入れしたと聞きます。また「駅メモ!」とか言う、ワケの分からないキャラクターが出てくるキャンペーンが行われているのですが、高齢者には、何のことかサッパリ分かりません。昭和46年8月17日、小浜線を訪れた際の行程を撮影順に載せて行く。敦賀から始発列車に乗って、5:09に美浜に到着。駅で仮眠ののち、東美浜寄りに歩いて、敦賀発の922レを撮影、この列車、西舞鶴、綾部経由で終着は京都。C58 212[敦一]の牽引。補助灯が、前照灯並みの大きさ。

美浜~東美浜には純日本的な風景が広がっていた。大きな松の木のそばで、下り貨物971レを撮影。C58 278[敦一]牽引。

続いて同じ場所で、福知山発敦賀行き933レを撮る。C58 222[福]、この時は、現役のDRFC会員の時で、35mm、6×6、カラーの三本立てという、体力、気力が満ち溢れていた絶頂期の頃だった。すぐ貨物6974レが近づいて来る。近くの美浜川の鉄橋へ移動し、サイドから狙う。海に近い線らしく、冷蔵車が連なっている。

小浜線は若狭湾に沿って、敦賀から東舞鶴までを結んでいる。リアス式の海岸に沿って走るため、海水浴場が各所にあって、以前は海水浴客で賑わっていた。とくに京都の子どもにとっては、臨海学校で訪れたことが幼い日の思い出として残っているはずだ。旅客列車4往復、貨物列車が不定期も含めて4往復を、敦賀・西舞鶴、福知山機関区のC58が牽いていた。いずれも余分な装備はなく、原型に近いC58だった。

美浜駅に戻ると、交換待ちをしていた6974レが待機中、対向列車はは953D

 

美浜から956Dに乗り、十村に着くと、交換の973レが発車するところ、C58 228[敦一]の牽引。十村で降りたのは、あるミッションを行うため(次号に続く)。

「鉄道地図」に描かれた小浜線。松尾寺~東舞鶴が最後に開通してから、ことし12月20日に100周年を迎える。昭和の時代、われわれの頃は、夏になると、こぞって小浜線、宮津線に乗って海水浴に繰り出したのは、遠い思い出話になってしまった。すっかり目立たなくなった小浜線だが、乗客の動向にも如実に表れている、昭和62年、小浜線の通過人員は2700人、平成、令和になると急減して、2018年は1023人、2019年は1000人を割り込み991人、2020年は782人と、最盛期の4分の一程度になり、関西線の柘植~亀山とほぼ同じ、JR西日本の「ご利用の少ない線区」の代表となった。

 関西の蒸機を巡る  ~小浜線~  ①」への5件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    小浜線の無煙化は昭和46年10月のダイヤ改正でしたね。当時の私は中学3年生で、小浜線は遠い所でした。鉄道誌に紹介されることも少なく、SL時代には訪問する機会に恵まれませんでした。
    後に気動車を求めて何度も(おそらく二桁の回数)通う羽目になるとは、分からないものです。美浜-東美浜間は良く行きましたが、いつも東美浜側からのアプローチでした。美浜側に美しい風景が広がっていたとは知らず、やはり自分の足で歩いてこそ好い撮影地が見つけられるのですね。今頃気づいても遅すぎますが・・・。松の大木を大きく入れたカットが気に入りました。
    ところで、美浜駅近くの鉄橋では、南側から気動車を写していました。背景の山の形が気になって車を止めたようです。
    十村は何度も行きました。〝あるミッション〟が気になります。次回を楽しみに待ちます。

    • 紫の1863さま
      いつも即コメ、ありがとうございます。DC化時代、そんなに行かれたのですか、たしかに、夏の臨時列車は、バラエティに富んでいましたね。14系客車あり、181系ありと、今から思うと、よくぞこんなに海水浴客の需要があったものと思います。普通列車も写真のように、いろいろなカラーがありました。DCの斜めストライプと背後の山の稜線がみごとに一致しています。これは狙って撮られたのでしょうか。川は「耳川」という名前だったこと、地図を調べて分かりました。背後の山は、海岸沿いにありました。これもストリートビューを見て初めて気が付きました。

      • たしかに山の稜線とDCのストライプが一致してますねえ。ですが、私にそんな腕はありません。偶然です!

  2. 総本家青信号特派員殿
    松の木のカット、いいですね。小浜線は敦賀からも舞鶴からも近くて遠い存在でした。本シリーズも楽しみにしています。写真もさることながら、鉄道地図に目をひかれました。柳ケ瀬線、中舞鶴線、江若、国鉄バスの路線網など、古き良き時代でした。柳ケ瀬線の廃止は昭和39年5月11日で、中学生時代でしたが、一人で最終日に遠出した思い出があります。キハ521が満員だったことが忘れられません。中舞鶴線は昭和47年11月1日に廃止されていますが、訪ねたことはありません。この地図は、昭和39年以前のものということですね。

    • 西村さま
      いつも暖かいコメントをいただき、ありがとうございます。実は、私も小浜線はこの掲載の一回きりなのです。確かに近くて遠いところでした。この時代、C58なんて奈良線でも見られましたから、なかなか小浜線まで行く機会に恵まれませんでした。地図は手許にあったものを、適当に載せただけですが、昭和35年発行になっていました。柳ケ瀬線へも行っておられるのですか、私は全く知りません。会社の同僚に敦賀出身の者がいて、彼から中ノ郷駅の赤線入場券をもらい、いまも大事に持っています。

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