2024年6月、伯備線の特急「やくも」で活躍していた381系電車が定期運用を終えました。
これにより国鉄時代に登場した特急型電車が全て定期運用を退きました。
日本全国の旅先でよく出会った国鉄型の特急がついに第一線から居なくなってしまいました。
幸いにも、381系最後の活躍を撮りに伯備線に何度か足を運ぶことができました。
本で読んだ「布原の三重連」と同じ路線が終焉の地となることに因縁めいたものを感じつつ、中国山地を走る振り子式電車を記録しました。

根雨駅で並ぶ「サンライズ出雲」(臨時)と新旧「やくも」。381系で採用された高運転台スタイルは後任の伯備線特急車両にも引き継がれました。
最晩年の塗装「ゆったりやくも」色
「やくも」に使用される381系には様々な塗装が施されていました。2007年からは「ゆったりやくも」色と呼ばれる、赤みの強い紫色がベースのデザインが登場し、全ての車両がこの塗装に統一されました。外観だけでなく、内装も大幅にテコ入れがされていて、一見すると681・683系のような雰囲気に様変わりしていました。
学生時代はどうにも魅力的に映らず、「国鉄色になったら伯備線に通うのにな」と贅沢なことをぼやいていました。
ゆったりやくも色はJR西日本の国鉄型特急型電車に共通した配色パターンを使っていて、並べてみると共通のフォーマットに沿って仕上げていることに気づきます。国鉄色とはまた違う、揃ったコンセプトによる様式美を感じさせます。

381系「やくも」のゆったりやくも色。いわゆる「電気釜」スタイルの車両に、貫通扉(またはそれにあたる範囲」を単色塗りとし、ヘッドマークの下に5本のラインが入るのが共通するデザインです。

183系「北近畿」。貫通扉にあたる部分がブラウン系に塗装されていました

583系「きたぐに」。貫通扉がグレーに塗装されていました。大柄な車体のため塗装部分が多く、重厚なイメージに。
やっぱり惹かれた国鉄色リバイバル
そんな私を伯備線に駆り立てたのは、やはり国鉄色のリバイバルでした。
学生時代より少し良くなった機材でこれまでは撮れなかった条件に挑めることや、ご縁により西日本との距離が再び縮まったこと、人生の節目に差し掛かっていたこともあり、(ミーハーだと思いつつ)私も積極的に足を運ぶことにしました。
とは言え、関東在住で週末も用事がある、そもそも旅費も潤沢にあるわけではないため、日程ありきで行かざるを得ませんでした。悪条件の日であってもいかに満足いくものが撮れるか、天気予報とにらめっこしながら撮影プランを何度も練り直していました。
そんな自分をあざ笑うかのように(?)、四季折々の景色や天候との闘いを勝ち抜けた作品たちがSNSを流れてきて、羨ましい気持ちに拍車がかかる日々でもありました。

後追いにはなりますが、カーブで車体を傾ける姿を撮影しました。
山岳区間を高速で走るために作られた381系が、その性能を活かしている瞬間に見えました。

不人気だったクモハ381側。後天的な改造が国鉄型らしい個性を出して個人的には好きでした。
JR東海に所属していた幌付きのクモハが好きなので、あともう一息欲しい!と思ったものでした。
2024年GW、最後の撮影と乗車
2024年のゴールデンウィークは、泊りがけの撮影は当分これが最後になると、かなり気合いを入れて臨みました。
新見ではタクシーを使って撮影地に乗り付けたり、そこから特急で松江までワープしてレンタカーで伯備線を再び南下するなど、これまでの撮影で撮れなかった分を極力詰め込むため、ずいぶんと欲張りな行程となりました(旅費もだいぶ膨らみました)。
今回もまた曇天に泣かされながら、新旧やくもとサンライズの並びといった過渡期らしい組み合わせなども楽しみました。
沿線の宿泊施設に泊まったので夜遅くまで、翌朝も早くから撮影をしました。けれどもこれは欲張った割に成果はイマイチで、泊まった場所もあまり良くなかったのが残念でした。

新緑が眩しい井倉の鉄橋を渡る「やくも」。ゆったりやくも色の前に採用していた緑色塗装も最晩年にリバイバルされていました。

泣きの一回で挑戦した国鉄色は雲に泣く結果に
撮影だけでなく乗車にも力点を置き、新旧やくもの乗り比べや、元福知山車の車両に乗ることができました。
「こうのとり」などの北近畿地区の特急として2012年から2015年まで運行していた福知山の381系は、引退後に一部が後藤へ転属しました。塗装は「ゆったりやくも」に変更されたものの車内の改造はフルメニューではなく、一部に原型を留めていました。座席や荷棚こそ変わっていましたが、座って席を倒すと、かつての「ムーンライトながら」や「ムーンライトえちご」の眠れない夜に見上げていた国鉄特急型の天井が目に入りました。

元福知山車の車内。手を加えた箇所も多い中、天井は原型に近い状態で残存していました。
すべての撮影と乗車を終えて、帰りは273系に乗車しました。
乗り心地と車内の設備に世代の差を強く実感しつつ、カーブから見える先頭車の姿は塗装と高運転台スタイルが相まってか、国鉄色の特急電車を想起させました。
一見すると全く別物の車両でありながら、DNAは確実に引き継がれているかもしれない、と思うのでした。
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分割民営化から40年近くが経過し、国鉄型がずいぶんと遠い存在になってきました。なかでも特急型電車が2024年まで現役だったのは、JR型特急の置き換えも進むなかで奇跡的とも思えます。私自身も30歳をこえたなかで、遠い地にも関わらず最後の活躍を見送ることができたのは、とても幸運でした。
寺田咲築さま
昨年初夏までの国鉄色復活に勇躍撮影に出撃された熱いお気持ちがよく伝わってきました。実は小生も相当の熱量で追いかけていたからです。
国鉄原色やくもはまだ塗装変更がなかった時代に、山陰線伯耆大山~出雲市間でしか撮ったことがありませんでした。大山をバックにしての日野川橋梁で、玉造温泉~来待間、荘原~直江間等々でした。間もなく塗装変更が進んで原色が消え、やくも号なのに伯備線内で撮れなかったことがトラウマになっていました。その後繁忙期の増結用に日根野区から原色編成が出雲区に貸し出され、その返却回送を備中川面で撮ったのが唯一でした。もう伯備線内で原色やくもは撮れないだろうと諦めて落胆していたところでの今回の復刻でした。しかも運用も発表されて撮影計画が立てやすく、同じく原色機に統一されつつあったEF64貨物と併せて、原色撮り放題?の幸せなシーンが展開されることになり、喜び勇んで何度か出かけました。原色車が最後の輝きを見せてくれた至福の一時期でした。
コメントありがとうございます。
最後の381系は撮影もしやすく、EF64も撮れる日になると身体がいくつあっても足りないほどのダイヤだったと記憶しております。
(自分は大型連休の撮影が殆どで、貨物列車が運休だったことが惜しまれます)
山陰本線も伯備線に負けず劣らず名撮影地が多いのは私も悩みどころでした。景色は綺麗だけど、でも381系は伯備線を走ってナンボでは……という気持ちが葛藤していました。
私は結果的に両方でそこそこ撮影できましたが、天気には恵まれなかったのが心残りです。
とはいえ381系の活躍を納めることができて本当に良かったとでますし、1900生様も心ゆくまで撮影されたとのことで、最後の良いものを見せてもらったなと思います。
やくも撮りは、自分も燃えました。国鉄時代だけでなくJRになってからの復刻塗装も加えて走り出し、各地から多くのファンも殺到しました。話してみると東京圏の人が多かったように感じました。381系だけでなく、サンライズ、117系の銀河、115系3500番代、EF64牽引貨物と役者も揃っており、退屈することはありませんでした。381系は、乗るとなかなか振り子式でワイルドな乗り心地に感じましたが、新やくも273系はとても静かで快適とのことなのでまた乗ってみたいと思います。
コメントありがとうございます。
大山バックのお写真とても素晴らしいです。まさにここで撮りたかったのですが、日ごろの行いが足りていなかったようでした。
沿線で見かける車のナンバーを見ると、とても遠い場所から来ている人が多くてとにかく大盛況でした。
実は381系撮影の合間に、伯耆大山から東の非電化区間でキハ187系の5両編成(繁忙期のみの長編成)も撮ったのですが、そんなマニアックなものにも東京からの撮影者がいて驚きました。
単線区間だから……と油断しているとかなりの本数がある伯備線、日照時間が全然足りない日々だったのが懐かしいです。
次は東京駅からサンライズ出雲に乗って、個室寝台から伯備線の景色を眺める贅沢な旅をしたいところです。
新型「やくも」273系に、先月初めて始発から終点まで乗車しました。今までの振り子特有の揺れもなく、車内も濃淡交互の座席がいい雰囲気でした。乗車率が高いのにも驚きましたよ。さて、老人としては、最初の特急「やくも」を。昭和40年改正で、新大阪~浜田のキハ82系「やくも」として誕生、写真のように大阪駅でも見られました。181系になるのは昭和47年改正でした。
コメントありがとうございます。
新型車両273系は近年の特急型電車の中でも特に好印象の車両でした。眩しいとか目がチカチカするではない、適切に明るい車内というのが好印象でした。
宣伝や駅に設置された「やくもラウンジ」など、ブランディングもよく出来ているなと感心しました。鉄道を選んでもらうための戦略が印象的でした。
82系時代の貴重なお写真をありがとうございます。大阪駅にやってくるやくも、私には新鮮に映りとてもかっこいいです。
ルートこそ現在と異なりますが、列車名といい、登場時から大都市圏と島根を最速で結ぶ使命を負った列車なのですね。
私の中でやくもは381系のイメージですが、前任のキハ181系やキハ82系もかっこいいと思っています。
振り子式電車が軽やかさであれば、DC特急は力強さの魅力がそれぞれあると感じています。
総本家青信号特派員さま
82系での新設時は福知山~山陰線経由でしたね。山陽新幹線岡山開業時に181系で伯備線に新設されました。直ぐ後の盛夏に会社の人と一緒に隠岐へ泳ぎに行く際に181系に初乗車しました。新大阪でひかり号に乗る際のホームの温度計が38度を指していました。現在はなんということもない当たり前の気温ですが、当時は猛烈に暑く感じたものでした。発車後に車掌がわざわざ「ホームの温度計が38度あり・・」とアナウンスしたほどでした。181やくものクーラーが猛暑で中々効かず、度々アナウンスでお詫びの放送があり、ついには貫通扉を開放してくれというとんでもない放送もありました。車内温度はともかく、181DCでも米子までほぼ3時間を要して、それ以前の急行に比べても大幅な短縮にはなっていませんでしたが、381振り子電車で一気に約2時間になりました。今回273系化されてもダイヤ構成の関係からスピードアップはなく、それより乗り心地の改善に注力したようでした。
1900生さま
「やくも」の新設時は、たしかに福知山~山陰線経由ですから、「まつかぜ」と同じルートです。車内冷房がなかなか効かないという事態は、この時代よくあったように思います。非冷房車かも知れませんが、よく正面の扉を開けっぱなしにして走っていました。営業車でも見たことがあり、いまの安全基準では考えられないことでした。