ここらでボンネットバス 近畿編 〈15〉

奈良交通 ①

ここらでバスに参りましょう。今までの投稿のなかで、バスネタには意外な人気があり、閲覧、コメントも多いように見えます。今まで京都市バスに特化したテーマのほか、関西各地を走ってきたボンネットバスも、今まで京阪バス(京都・大阪・滋賀)、江若交通(滋賀)を紹介しました。今回は、奈良県下に路線網を広げる奈良交通です。

1960年代には、奈良交通に多くのボンネットバスが走っていました。運転区間には狭隘区間や山間部も多く、ボンネットが好まれたのかもしれません。次第にリア・エンジン車に置き換えられ、写真を撮り始めた1975年ごろには、高田、五條の2営業所のみの配属となりました。それでも近畿のボンネットバス路線としては、有数の台数、路線を持っていました。奈良交通のボンネットバス、鹿のマークに若草色と、おなじみの奈良交通塗装のボンネットバスが、昭和の時代に走っていた。その後も観光用として生き残り、いまも1台が観光・貸切用として走っている(昭和50年3月、平端駅前)。

高田営業所

大和高田市の国道24号沿いに奈良交通の高田営業所があり、いすゞBXD30が在籍していた。近鉄高田駅をターミナルとする近郊路線と、法隆寺を基点に、近鉄平端、結崎へ向かう路線が中心だった。撮影した1975年には、5台のボンネットが在籍と当時の手帳に記していた。

国鉄法隆寺駅で発車を待つ平端行き、国鉄法隆寺~近鉄平端を結ぶ系統は1日11往復あり、ほぼ一時間ヘッドでボンネットが走っていたことになる。近鉄平端駅に狭いバスプールがあって、2台が交互に運転、顔を合わせるシーンもあった。「奈2あ1914」と「奈2あ1918」、いずれも昭和42年製いすゞBXD30(昭和50年3月)

五條営業所

国鉄五条駅近くの五條営業所にもボンネットバスが在籍、手帳には3台と記入されていた。営業所は、その後、葛城営業所に統合され、現存しない。高田営業所と合わせて奈良交通全体では8台が昭和50年代にも稼働していた。国鉄五条駅前を発車する富貴行き、県境を越えて和歌山県の富貴(とき)まで行く路線で、五條営業所の代表的な長距離・山間部路線の一つだった。かつては、その先の野迫川まで運転されていた(以下、昭和50年8月)。営業所から国鉄駅前に回送される「奈2あ1912」、下山口方面や十津川村方面など、山間部を結ぶ路線にも運転されていた。五條営業所の「奈2あ1866」、昭和41年製のいすゞBXD30 廃車後、京都府瑞穂町(現 京丹波町)へ譲渡され、町営バスとして復活した。そのあと2006年に終了し、転売業者を経由して宇和島市のエス・ケイに移って、観光目的の貸切として使われたが、現状は不明。「奈2あ1915」、昭和42年製で、ボディはすべて帝国ボデー、奈良交通のボンネットバスは昭和54年まで五條富貴線で活躍した。

 ここらでボンネットバス 近畿編 〈15〉」への2件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様

    奈良交通特集、ありがとうございます。

    奈良では奈良交通が独占状態です。京都市内を初めて訪ねた際、京都市バスに加えて京都バスもあり、バスの選択肢があるのだと大変なカルチャーショックを受けたものです。

    独占だけが理由ではないでしょうが、奈良交通では昔に比べてだいぶ運賃が値上がりました。地元の循環バスは、180円で駅まで向かえていたのが今は250円です。それでも乗りたくなる便利さが奈良交通にはあるのです。

    • 奈良の駅名研究家さま
      ボンネット、地元の奈良です。たしかに奈良交通が奈良を独占しています。ご承知のように、戦前の国家総動員法に基づく陸運統制で、鉄道もバスも強制的に合併させられました。戦後は元に戻る例が多いのですが、なぜか奈良だけは、戦後も一県一社体制が続き、どこへ行っても鹿のマークが走っていたのでした。まだまだ奈良のボンネット続きます。

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