1966(昭和41)年9月3日午後登別

北海道のキハ82を投稿したところ1900生さんから特急「おおとり」の上り下りの間違いを指摘された。ここは午後2時過ぎの下り3D「おおとり」から日没までいた。この年は最後の仁山のスイッチバックと狩勝峠で1日を過ごしたが今振り返ってみると室蘭本線での「おおとり」の前後は勾配こそなく平凡な路線であったが実に多くの機関車を撮ることができた。平凡な写真であるが数は稼げたので行き交う当時の列車を見ていただきたい。

最初は岩見沢発上り228列車室蘭行きC5729[室蘭]である。14時50分前の通過であるがこの大カーブで望遠レンズを使ったのは誤りで5両の客車を牽くのはC56に見えてしまうがどうだろうか。▼

次は15時過ぎにトンネルを出たC5530 [室蘭]牽引の下り229列車でこの列車普通列車でありながら函館発の札幌行きでこの辺りでは長距離昼行鈍行であった。▼

上り貨物でD51600という切りのいいナンバーで小樽築港区の所属である。当時の貨物は雑多な長編成で苦労する。▼

16時頃721列車室蘭発小樽行きはC5744[室蘭]牽引で来たが写真不出来で割愛。

上りの長い石炭列車をナメクジドームのD5197[追分]が牽いて来た。▼

上り貨物がD50の若番25[鷲別]で現れる。このカマは北見で保存されている。▼

16時50分頃上り岩見沢発長万部行きをC57168[室蘭]が8両の客車を従えて現れる。▼

17時頃上りタンク車と思われる貨物をD50294[鷲別]牽引で現れる。▼

上り貨物のD51342[岩見沢]。D50、D51共に回転式火粉止め、所謂クルクルパーが煙突についているが予備灯もなくデフレクターも細工されていないのが好ましい。▼

17時30分過ぎ下り231列車室蘭発岩見沢行きがC5532[室蘭]で通過。旅客用のC55とC57は室蘭区に配属されているが翌日室蘭本線で撮影した季節臨時列車急行「石狩」は苗穂区のC57が牽引していた。▼

17時40分頃パイプ煙突の若番D5055[鷲別]が牽引で現れる。もう日没で条件が悪いがこのような複線の真ん中での撮影は許されない。▼

最後は登別駅停車中の上り貨物のD50230で機関士、機関助士共に休憩か。不覚にも区名を確認するのを忘れる。▼

先にも述べたが室蘭本線は勾配がある訳ではなく単調な路線であるがいろいろな機関区の蒸機が次から次へと現れて退屈しない夢のような路線であった。

 

1966(昭和41)年9月3日午後登別」への6件のフィードバック

  1. 準特急様
    1年後の1967(昭和42)年8月31日に岩見沢から登別まで220列車に乗車しました。牽引機はC55 31でした。岩見沢で発車待ちの同機です。

    • 快速つくばね様
      早速コメントの一番乗り有難うございます。C55やC57等旅客用機関車は撮影データを記録しております。このC5531は室蘭本線や宗谷本線でも記録がなくやはり撮り損なっていました。有難うございます。

  2. 準特急様

    蒸機牽引の客車列車は最後の年になりそう、ということで1975(昭和50)年の夏は迷わず室蘭本線へ。登別では駅を遠くにみる虎杖浜寄りのトンネルの上から。
    この日見たのは、C5738、57、144の3機で、この前年に訪れたときに見た104号機は見かけず。このときの宿泊は夕張駅近くの旅館。この年は、2月に急行「高千穂」で鹿児島へ、そして夏、室蘭へと動き回っていました。
    登別駅、温泉への入口の駅ですが、「温泉」とか「温泉口」などつけて駅名を変えられていません。有名すぎる温泉なのでそんな小細工は必要ないのでしょう。
    余談ですが、平成の時代に利用した登別第一滝本館は、大きくて最もエンジョイできた日帰り入浴施設でした。

    • 高田幸男様
      高田さんもC57が好きでしたので最後の大行動はよくわかります。
      第一滝本は有名でした。1982年(昭和57年)に京王ホテルの備品購入や内装などで世話になった京王百貨店の方々と登別に行きました。当日地震があり、鉄道が不通だったのでバスで行きました。名物のクマ牧場で見たヒグマは大横綱二人でもやられると思いました。

  3. 準特急先輩のわずか1年半後の1968年3月下旬に初めて渡道しましたが、D50牽引列車の走行写真を撮影することはできませんでした。
    追分の25号機は休車で庫外に留置、230号機は庫の中。岩見沢の322号機はホーム脇で出庫準備を整えていましたが、三美や美唄へ行くという行程の都合で停車中を撮影しただけ(待ってでも撮影すれば良かった)。滝川の285号機と375号機は庫外で早朝撮影できました。
    私が訪れた数日後(滝川は3月30日訪問)の3月末で北海道のD50は終焉を迎えたようです。まだ、撮影できただけ良しとするのかな。

    • クモハ73106東ウラ様
      よくありますね。1963年5月亀山に行った時は目的のC51225は火を落として庫の中でアウト。1964年3月の稲沢はかなりのD50が一休車。同じ年の4月に浜田に行った時はC54は居なくなって後の祭りでした。ところでDRFCの人間国宝佐竹さんは最も好きな機関車はD50と戦時設計のD52と言われそれを聞いたことがあります。人それぞれですね。1968年の渡道の様子有難うございました。

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