50年前の撮影地を歩く -3-

50年前の今日、-2-と同じ高倉陸橋へまた行っている。昭和39年は、東京オリンピックとともに、日本史に残る東海道新幹線の開業年だったが、この8月25日は、私にとっての新幹線の初撮影となった。

新幹線には今も昔も、余り関心を示さないが、開業から半世紀も経ったかと思うと、ひとしおの感慨も沸いてくる。数日前も、大阪・高島屋へ「夢の超特急展」を見に行ったが、子どもも混じって大変な人気だった。書籍のほうでも、開業50年を謳った新幹線の関連本が続々と出版されている。

syIMG_0007syIMG_0005この日、8月25日は、東京~新大阪間を、初めて「ひかり」の営業運転と同じ4時間で運転する試運転初日だった。この模様はNHKテレビで、東京発車から新大阪到着まで、朝8時30分から4時間以上の生中継を行なった。こんなに長時間の生中継は、日本のテレビ史上初めてのことだった。そして、テレビを見届けたあと、戻りの試運転列車を撮るため、例の高倉陸橋へ自転車を走らせた。高倉陸橋は、在来線の撮影好適地だけでなく、京都駅発車直後の新幹線の撮影にも向いている。

日本の鉄道史を塗り替える新幹線の出現は、日本人の共通の関心ごとで、東京オリンピックとともに、いよいよそれが秒読みに入ってとあって、今までに経験したことのない、高揚感に日本全国が包まれていた。高倉陸橋も、いまの騒ぎに比べると、ささやかなものの、多くの市民が詰めかけていた。

新幹線のテストは、鴨宮のモデル線区で昭和37年5月から始まり、2両編成のA編成、4両編成のB編成を用いて高速運転試験を行なった。その後、試運転区間は、順次延伸されるものの、東京~新大阪間の直通試運転が開始されたのは、なんと開業の65日前、昭和39年7月25日のことで、いまの中国も驚きの突貫工事だった。しかも、まだ単線運転でATCすらなく、最高70キロ運転は、新大阪まで10時間も要した。そして、東京~新大阪間を営業速度と同じ最高200キロ運転上げて、「こだま」と同じ5時間運転が8月24日、「ひかり」と同じ4時間運転が8月25日から始まったのだ。

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4時間試運転を伝える新聞。“「ひかり」号京都駅停車”は、当初「ひかり」は通過扱いだった京都に、試運転列車ながらも初めて停車したことを意味している。

 

 

50年前の撮影地を歩く -3-」への4件のフィードバック

  1. はじめまして、偶然なのか、8月25日のラジオで新幹線開業初日「ひかり2号」大阪発を運転された方が、電話で生出演されていました。

  2. やまいもさま
    初めてのコメントをいただき、ありがとうございます。開業初日の新大阪初発「ひかり2号」の運転士二人のうち一人は、大石和太郎さんと言う方で、根っからの鉄道ファンの方でしたね。鉄道雑誌にもよく登場され、一番列車の様子をよく語っておられました。

  3. この列車は京阪沿線の高校の教室の窓から見ました。
    8月25日ですので、夏休み期間中でしたが補習授業があり登校していました。
    午後2過ぎだったと思いますが、国語の時間「メダカ」のニックネームの先生の授業中、誰かが「新幹線が来た」と叫びみんな一斉に廊下に飛び出し見学しました。
    「メダカ先生」(本名は正木先生」が一言「いいねえ」と言われたことを覚えております。
    叫んだの私ではありません。

    当時教室からは京阪電車は勿論のこと新幹線がよく見え、片町線の蒸機の汽笛がよく聞こえました。

  4. 藤本さま
    コメント、ありがとうございます。50年前の出来事をよく覚えておられるのに驚きました。それにしても、香里の丘から、淀川の向こうの新幹線が見えたのですか。これも50年前ならではですね。

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