冬の間も当工房では細々と作業が続けられ、長くかかったB6(2120型)がようやく完成しました。この模型は昔、鉄道模型社が発売していたエッチング板を利用したもので、ボイラー・車体はエッチング板、動輪・ロッド類・スチームドームはSANGOの製品を使用、台枠他を自作したものです。B6との付き合いは学生時代、宮沢模型製の2900型を手に入れたのが最初で、2両目として今回と同じ手法で2700型を作っていましたが、いずれも改造形式なので、オリジナルのB6が欲しくなり「3両目の正直」と思って作り始めたものです。しかし仕事についてからは思うように作業が進まず、長い眠りに就いていました。例によって未塗装ですが奮闘の跡をご覧下さい。
駆動方法は縦型モーター(DV18A)をキャブ内に入れ、第3動輪に入れたウオームギヤーを駆動する、この種の機関車としては一般的な方式です。狭軌車両を16番で作るとき、特に蒸機はシリンダの内側に動輪が入るため、シリンダ中心間隔を広げて作る必要があります。このために車体幅にまでその影響が及び、フロントビューの印象が実物とずいぶん違ってしまうのが残念なところです。
機番の2312号機ですが、学生時代にマツモト模型で貰った形式入りナンバーが綺麗に出来ていたので使用しただけで、当該機に拘りがあるわけではありません。須磨の大老のお言葉を借りればそれこそ「掃いて捨てるほど」あった機関車なので、滅多に写真集なんかに載ってはいないだろうとタカをくくっていたら、見事、NEKOのRM LIBRARY 「B6回顧録」の表紙に写っていました。
工房便り、次回はいよいよD50の登場です。
お久しぶりですね。ぷるぷる工房では車両竣功が相次いでいるご様子、心からお慶び申し上げます。恐らく戸棚や押入には、長年シコシコ買い貯めた未着手のキットやエッチング板がぎっしり詰まっているんじゃないですか。小生の知っている模型人はほぼ全部そうで、積もり積もった「先行投資額」は奥様には知られたくないそうです。先行き大変でしょうが、やりがいはありますね。
ところで、以前小生の「おじん2人ヨーロッパ軽便」シリーズで、英国はウエールズの軽便鉄道、Vale of Rheidol Railway の堂々たる機関車 Prince of Wales 等に関し、エアタンクが見当たらない。一体どこにあるんじゃろうとの疑問が貴兄から出されました。ひょっとして、サイドタンクの中?なんて無責任なお答えをしたかと記憶します。今頃になってなんですが、この機関車は真空ブレーキ装備だったんです。だからエアタンクがないのが当然。
昨年末からJR東海が明治村の蒸気動車を引取り、自前の鉄道博物館に納めるべく、その修復にあたって小生にお尋ねや相談がありました。折角螺旋連環連結器を装着していて、竣功時の1番違いの写真もあるのだからと、製造当時のホジ6014として復元することになりました。そこで問題になったのが真空ブレーキの端面ホース立ち上がりでした。
そこでこっちも若干真空ブレーキを付け焼刃で勉強せざるを得ず、そのついでに、上記ウエールズの古典蒸気機関車の真空ブレーキが判明したという次第であります。
湯口 徹様
コメントを頂きありがとうございます。幸い?なことに現役時代にあまりキット類を買い貯めなかったおかげで、早くも先が見えつつあります。なんとかオダブツになる前に完成させることが最大の目標でありますので、やりたくない手抜きをやってしまうのではないかと、それを一番恐れています。写真は退役した初期の頃のfine pixを模型撮影専用に使っていますが、うっかり縮小しないでアップロードしてしまったため、アラが出てしまってお恥ずかしい限りです。
真空ブレーキの件、未だに生きているのですね。とはいえ私は真空ブレーキのメカニズムなどは無知と言って良いレベルで、今になって考えると私の知識など鉄道工学のほんの片隅の部分だったのでしょう。これまた恥ずかしいことです。
話変りますが私の下の息子がバイク好きで、あのマン島のTTレースに出場した人のHPに鉄道踏切を横切るシーン(もちろんバイク中心ですが)があり、踏切であの電車が止まっていました。世の中、何が繋がっているか分からないものですね。