その2では諸先輩から「かつぎ屋」についての具体的な解説を寄せて頂きありがとうございました。その3は「ちどり号」です。これもまたいろいろな思い出話が出てくるのを期待しましょう。
RM LIBRARY No.45 佐竹先輩著「昭和30年代の国鉄列車愛称板(上)」に快速ちどり、準急ちどりが紹介されています。快速ちどり号は昭和28年11月11日から走り始め 芸備線内はC58、木次線内はC56がオハ、オロハ、オハフの3両を牽引したそうです。昭和34年4月20日からは準急に格上げされ キハ55、キロハ18、キハ55の3連で出雲坂根のスイッチバックを昇り降りしたようです。新聞記事の長船氏の写真は昭和36年8月、三次駅での撮影で5連です。キハ20?もはさまっています。三次までの増結でしょうか?写真にもあるヘッドマークは電飾看板だったそうです。「準急」というひびきがなつかしく 「準急」がかっこよかった時代です。
手元にある昭和36年6月号の時刻表を見てみました。606D準急ちどりは広島発12:10、松江着17:10、米子着17:42。608D夜行ちどりは広島発23:55、途中三次で時間調整か17分停車、松江着5:39、米子着6:15となっています。広島・松江間をちょうど5時間で結んでいたことになります。現在はどうかというと、広島・松江間を広電と一畑の高速バスが日に18往復も設定され 中国道、松江道を木次も経由し ほぼ同じルートを3時間17分で結んでいます。夜行列車が走っていた区間とは思えない速さです。
こんなローカル線であっても 夜行列車が停車、通過するとなると各駅では深夜でも駅員が起きて通票の扱いや見守りをするのが当たり前のことでしたね。幹線では多くの貨物列車もあって わざわざ感はないにせよ、地方線区では大変だったろうと今になって当時のご苦労が偲ばれます。
私も一度だけ夜行のちどりに乗ったことがあります。山陰均周を手に 松江から広島行きに乗り、宿泊費節約のため途中備後落合か西城で下車して米子行きちどりで山陰に戻るつもりが 不覚にも寝過ごしてしまい 気がついたら三次を過ぎていて仕方なく広島まで行き、出費がかさみ 予定が大幅に狂ってしまったという苦い思い出の列車です。