おしえて!なんでも探偵団4

謎の機関車は右端

謎の機関車は右端

 

古い写真の整理を続けているが不思議なものが写っていることに気づいた。

 時は1961年11月20日、場所は鷹取工場。母方の郷里へ往復するときにいつも車窓から眺めていた鷹取工場は不思議の国だった。いつも違った機関車や電車が並んでいたがどれも見たことがないものばかりだった。しかし列車は早く通過するためいつか見に行きたいとの思いが募るばかり。でも、その頃大阪より西は降りたことのない未開の土地で、言葉すら通じるのか不安であった。中学に入ってそこが神戸市の一角とわかり、もはや人食い土人の餌食になったり子捕りにさらわれることはないと確信したので出かけることにしたのだ。今なら大事になって夕方の6チャンネルで放送されるだろうが当時は鷹揚なもの、ホームから線路を横切って列車から見ていた金網に近づいた。早速おそるおそるカメラで撮った写真がこれからご覧に入れる数枚。

ED38とつながっている廃車蒸機がそれだ。233または238と読めるB6の後ろ、須磨の大老お得意の機関車ではないかと思われるがどうも鉄連の徽章がついているように見える。ぜひともご解説をお願いいたします。

お礼の印にそのとき撮った写真を添付します。

おしえて!なんでも探偵団4」への4件のフィードバック

  1. ほへほへ様、
    ありがとうございます。ご指摘の写真を見ますと1960(昭和35)年3月とあります。このときに鷹取工場では7100型の復元走行が行われ、その走行音を録音したレコードが発売されました。たしか買った覚えがありますがどこに行ったのか・・

  2. ED38と鷹養機の間にいる蒸機は238で、軸配列は1B1=B6(C1)ではありません。汽車会社製の形式230、形態を含めて明治期日本が英国機をそっくりコピーして大量に製造した機関車のひとつで、1905年2月製であります。この機関車は記憶が定かではないですが、最終高砂工場で確か237と共に入換に従事していたかと思います。高砂工は客貨車、ディーゼルカーで機関車を扱わず、鷹取工で解体を待っていたと思われます。

  3. 湯口先輩様、ありがとうございます。
    実は書いていながらB6かどうかの自信はありませんでした。言われて思い出しましたが、昔スタイルブック(だったと思う)に230型が出ていて作りたいなと思ったことがありました。確か最初の国産機とか書いてあったように思います。
    先ほども言ったように戦後生まれの青少年で、明治期にはまだ生を受けていなかったためこのようなまちがいをしでかしました。お許し下さい。

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