模型にしていた京阪1700+1800の異形式連結電車

 準特急さんの「異形式連結電車-5-」のコメントで出てきた京阪1700+1800の編成ですが、DRFC現役の時にHOで模型にしていました。一般色で3扉の7連です。すでに車両は廃車解体されました。しかし、その時の残骸と図面が残っています。図面と言っても簡単なものです。京阪は標準軌なので最初は1/87で図面を書きました。

しかし、上の図面からもわかるように台車などの下回りとバランスが悪いので結局1/80にしました。

これで何とかバランスがとれました。この図面には編成表も書かれています。たぶん、間違っていないと思うのですがちょっと自信がありません。

この電車の模型化にあたってはいろいろありまして、1年先輩のT氏と賭けをしたのです。それはレイアウトのいちばんきつい勾配を登ったら「天津閣」(今出川交差点西側の下がった所にあった小さな中華料理屋)のスープ付きをおごったるでというものです。このスープ付きというのは焼き飯で、実際は焼き飯付き中華スープという代物でどちらが主かわかりません。すでに閉店していますが、その時はニュースになっていました。その賭けの条件とは次のようなものです。行方不明になったレイアウトの外側にある線路の勾配がきつく、これを7両編成でひとつのモーターで、しかもウォームギヤ駆動でなくベルト駆動で登らせることが出来ればスープ付きにありつけるのです。

 ではどんな電車だったかというと、徹底した軽量化をおこない、ベルト駆動の動力車1両は全軸駆動としたものです。一つのモーターで全軸駆動とするのですから大変です。床板と屋根は当然ですがペーパー製です。床下機器はダイキャスト製では重いので、石こう製です。これは同期で模型をよく作っていた今は亡きO君から技術導入を行いました。塗装もO君の一乗寺にある塗装工場で泊まりこんで行いました。EVEに間に合わすためです。そして運命の走行です。電車は軽々と登って行きました。ベルト駆動なので大変静かな走行音でレールの継ぎ目の音がカタン、カタンとよく聞こえたのが印象的です。そして、ついに「天津閣のスープ付き」にありつけたのです。

 そんな、思い出のある京阪の異形式連結電車1700+1800でありました。

6 thoughts on “模型にしていた京阪1700+1800の異形式連結電車

  1. どですかでん さま
    経緯から1700+1800の事をコメントしないといけないのですが、今回は炒飯付きスープに反応してしまいました。懐かしいですね。天津閣、確かにありました。交差点を下がるというより、隅切された烏丸今出川交差点の南西側に斜めに交差点に面していました。
    ぷるぷるさんとよく行ったものです。最初どういう機会だったかはもう忘れてしまいましたが、炒飯が美味しく、スープをすすりながら行きかう市電とりわけ京都駅~白梅町間の10番系統が目の前を曲がって行くのが楽しかったですね。壬生の短い500型がよく入っていました。
    何度か通ううち、中華鉢で出てくる多量のスープに驚き、同じように炒飯付きスープと言っていましたね。
    1700・1800でも模型でもなくて申し訳ありません。

    • 天津閣については今でもネットで検索するといろいろな方の投稿が見ることが出来ます。見ていると懐かしく思います。しかし、私はあまりここでは食べていないのです。BOXにいると先輩がスープ付き行こかと誘われて行った程度です。金がない時は明徳館地下の生協食堂でライス+味噌汁+コロッケが一番安くておなかを満たすことが出来ました。それと眠眠で野菜炒めを一つとそれぞれがライスを頼んで安く昼飯を食べていました。出町柳駅前の眠眠ですがそれも今はありません。

  2. どですかでん様
    異形式連結を模型化されていたのですね。車両の現場では3扉化に際して窓配置等で苦労されたのか真ん中の新設ドアが両開きであったことは覚えております。この列車が出発する時のモーター音は聴きたかったですね。模型では苦労された甲斐があって天津閣チャーハンスープ付きはよかったですね。1900生さんもお好きであった今出川西南角の狭苦しいが実にうまかったスープ付きチャーハンは私もよく利用しましたが今でももう一度食べてみたいと思っております。

    • 1700と1800の編成は特急から格下げされたのですが、急行や準急などで走っていたのですが風格がありました。走りっぷりもよく好んで乗ったことを思い出します。それで模型化したのです。動力部の製作は手こずりました。輪ゴムで車輪に動力伝導で、車軸には細い習字で使う筆の竹軸を取り付けました。なんとも珍奇な動力装置でした。しかし、その時は電車が動いてスープ付きにありつけて内心ほっとしました。

  3. どですかでん様
    レイアウトの急坂を登るかどうかの賭けがあったのは覚えています。但しそれがどですかでん様の京阪車両だったのかは記憶がありません。当時同じような賭けが何度かあったのかもしれません。
    天津閣も懐かしいところです。私はどちらかというと中華は交差点の北西側トリオの裏で厨房がつながっていた太陽軒?によく行っていたのですが、卒業の年、我々の年度は紛争で卒業式が中止になり、最後に卒業証書をどこかの部屋にもらいに行った時の帰りに行ったのは確か天津閣だったと思います。卒業式がなく中途半端な状態で学校を去るのに一抹の寂しさを覚えたものでした。

    • そうでしたね。太陽軒というのがありましたのを思い出しました。私も時々行きました。ところで、メニューにカレー焼きそばというのがあったようななかったような・・・そうだ「鴨川食堂」で思い出のメニューを探してもらおうかな。

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