特急ひびきの先頭クロ

ある友人から写真を頼まれ、限りなく忘却の彼方とあって空しく探し回っていたら、肝心のものは見つからず、こんなどうでもいい写真があった。本来なら一顧だにしないところだが、偶々「ひびき」だの「クロ」だのと、タイミングが合致したのでご高覧に供する。モハ63系と70系ならバッチリ?見分けられる小生は、かような電車に全く興味がなく、先頭車がもし「クロ」なら、その旨ご教示を賜りたい。ネガは憎っくきヴィネガー・シンドロームにコテンパンにやられ、見る気もしないが、幸いキャビネにプリントしていた。撮影は確かでないが1959年頃か。

7 thoughts on “特急ひびきの先頭クロ

  1. 「ひびき」にも色んな車両が使われていたのですね。クロ151はマイテなど展望車の代用品とかで連結されました。しかし、オープンデッキがないと展望車とは言えません。下関から一駅だけ乗ってみようとしたら、車掌に断られたことがありました。どういういきさつで断られたかは記憶が定かでなく、同行の1900生さんにお聞き下さい。

    • 米手作市さま
      コメントが遅くなりました。数回コメントしようと書き込みましたが、何の加減かいずれも途中でドロンしてしまい、嫌気がさして暫く置いたため時間が空きました。
      一生に一度のチャンスであったはずのクロ展望席の乗車未遂事件は、おそらくみどりの窓口氏のイヤガラセではなかったかと思っています。結果が「お前ら若造にだれが売ってやるものか!」という執念すら感じますからね。
      下関駅の窓口で「展望席を」というと終始「無い」との返事でしたね。満席かと思い広島まででもとの問いにも「無い」でした。何度か平行線を辿ったヤリトリにおいて、そのうちわかってきたのはどうやら「そんな席(設備)は無い」と言っているらしいことでした。時刻表にも書いてあると言っても「無い」。全くラチがあきませんでした。先に「乗せまいとの執念が」と書いたのは話を面白くするための半ば冗談ですが、しかし自分が勤務する駅を発着する列車の設備を知らない窓口氏が居ることなど、常識では到底考えられないことですからやはり前述の2点くらいしか理由が考えられないのです。
      当時は不勉強の職員も多くいたので、本当に「無い」と思っていたのかもしれません。もっと「ということは?」とか「責任者出て来い」とか詰問すべきだったと今でも後悔しております。
      結局わからずじまいで答えにならず申し訳ありません。

  2. 湯口様
    たいへん珍しい写真を惜し気もなくご披露いただき、ありがとうございます。特急「ひびき」157系は当初冷房が無かったため、夏季には時おり、151系が代走することがあったようです。後年には専用のバックサインも用意されましたが、最初は写真のように、鉄板に手書き文字のサインを使用したとのことです。ピク誌の記述によると、手書きサインの151系「ひびき」は、1960年8月14日の一日だけとされています。「ひびき」は1959年11月からの運転ですから、1959年撮影とすると、今までの通説を覆す貴重な記録ですね。

  3. デカンショまつり号です。クロ151は、1960年6月1日のダイヤ改正で「つばめ」「はと」の置き換え用として登場しましたので、撮影時期は1960年以降と思われます。

  4. 小生が1959年?と記したのに何の根拠も、さしたる関心もありませんが、1960年12月まで山科に住んでいましたから、それ以前の撮影であることは確かで、1960年賀正しいと思われます。いい加減なことを書き申し訳ありません。

    • 湯口様
      大家から“申し訳ない”と言われると、こちらこそ申し訳ないとの思いがありますが、1960年とすると、ピク誌の記事のように、1960年8月14日撮影で、この日1日だけの貴重な手書きヘッドの「ひびき」となります。

  5. 本当に一枚の写真から撮影日が特定されるなんて、すごいですね。貴重な記録です。今後も貴重な写真、拝見させて頂けるとうれしいです。ありがとうございました。

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