恵那への乗り鉄旅

すでに事務局からは明知ツアーの様子や、どですかでん氏からは40年前の謎解きの報告がありました。今回19名が各地から恵那へいろいろなルートで集結しましたが、ここでは私が恵那へ向かった乗り鉄旅をご紹介します。年金生活者のジパング族には「のぞみ」は贅沢ということで御法度になっていますので、三原から「こだま」、「ひかり」を乗り継いで、うんざりしたところで岐阜羽島で下車しました。本当の乗り鉄は岐阜羽島からです。まずは名鉄羽島線から。

新羽島駅の笠松行き3154(Tc)+3254(Mc) 右手は新幹線岐阜羽島駅

初めて岐阜羽島駅で下車し、名鉄新羽島駅に向かいます。地上の改札口を入って高架ホームに向かうにはエスカレータもエレベーターもなく、長い階段が待っています。階段の先に1本突っ込みの殺風景なホームがあります。平成14年1月、到着した電車が積雪のために滑走し、車止めに激突する事故があったのが、この車止めです。なんでもその衝突事故の対策として停車位置を後退させたため、4両編成の場合、後ろ2両はホームから外れるので、扉開閉扱いをやめていた時期があったそうです。現在は通常通りです。

さて、羽島線ですが、名古屋本線笠松から分岐して大須に向かう竹鼻線の江吉良(えぎら)から分岐して新羽島までの1.3Km2駅の盲腸線として昭和57年に開業しました。ところが平成13年に竹鼻線の江吉良から大須までが廃止されてしまいました。現在電車は新羽島から笠松まで直通していますが、線名はいまだに江吉良を境に羽島線と竹鼻線のままです。

羽島市役所前駅で交換。3156(Tc)+3256(Mc)

全線単線ですから交換風景が楽しめます。

南宿駅で交換 3171+3271

西笠松駅で交換 3115+3215 交換駅はどこもスプリングポイント

約20分で笠松に到着です。笠松で名古屋本線に乗り換えて名鉄岐阜に向かいます。

笠松駅に到着した3254(左)と 右はラッシュ時用に留置されている3632他4連

竹鼻線の終端に軽トラ改造のモーターカーがありました。

笠松駅の軽トラ改造モーターカー 幌の上にもライトがついている

名鉄は軽トラックを改造した保線用モーターカーがお好きなようで、今回も何か所かで見かけました。

平成14年12月28日 今は無き揖斐線黒野駅にて

笠松駅に入線する岐阜行き急行 2331他6連

急行に乗ること5分で名鉄岐阜着。駅前通りに出てみました。かつては岐阜市内線や揖斐線乗り入れの路面電車が走っていたメインストリートです。確か以前は新岐阜と呼ばれていたと思いますが、今は名鉄岐阜と変わっています。大通りは昔のままの光景で、懐かしさをおぼえました。

名鉄岐阜駅前の大通り  左手の十六銀行は立派なビルに生まれ変わっている

平成10年10月31日 新岐阜駅前付近にて 571号

圧迫感のない高い屋根のアーケードは20年経っても昔のままです。

さて再び名鉄岐阜駅に戻って、今度は各務原線で犬山に向かいます。名古屋本線のホームと各務原線のホームは少し離れています。

名古屋本線ホームの終端で行われている運転台前面ガラスの水洗い

名古屋本線ホームの終端、車止めのところに洗車器具が備え付けられていて、作業員が手際よくガラスを洗っていました。車両基地ではよくある光景ですが、駅構内でこんな光景を見たのは初めてです。連絡通路を通って各務原線ホームに行くと、やはり到着車両の運転席前ガラスを洗っていました。

各務原線犬山行き 3223(Mc)+3123(Tc)   前面窓水洗い終了後

各務原線は複線です。約25分で新鵜沼に着きます。新鵜沼を出るとすぐ木曽川を渡ります。かつては道路併用橋で、電車がゆっくりと渡っていた橋を通過です。

新鵜沼・犬山遊園間の木曽川鉄橋  かつては道路併用だった

橋の先には犬山遊園駅のホームが見えています。犬山遊園駅からは かつて犬山モノレール(正式にはモンキーパークモノレール線)が走っていましたが 平成20年に廃止されています。

犬山遊園駅。かつてのモノレールの痕跡はホームの太いコンクリート柱と変則的な架線柱

昭和41年8月 犬山遊園駅を通過するデキ376牽く貨物列車。モノレール駅にモノレールが停まっていないのが残念! 右手のホーム上の大きい広告看板が今は無い。(と言うよりホームが削られている?)

かつて家族旅行で犬山へ来た際にたまたま撮っていた1枚です。半世紀ぶりに同じ場所に戻ってきました。犬山駅で広見線に乗り換えです。

 

犬山駅に到着した各務原線3123(左)と広見線新可児行き6008(右)

広見線の6000系ですが、一瞬キハ47かと思わせるお面です。名鉄電車はさっぱりわかりませんが、かつての特急車なのでしょうか?4連でしたが、結構混み合っていて運転台うしろのお立ち台を確保できませんでした。約20分で新可児(かに)駅に着きました。新可児駅でスイッチバックするようなかたちで、広見線は御嵩(みたけ)まで伸びています。ただし電車は直通せず、御嵩方面へは乗り換えが必要です。

新可児駅➂番線に到着の広見線電車。②番線から御嵩行きが出る。右の線路はJR太多線。

名鉄新可児駅とJR太多線可児駅は駅舎は別々ですが隣接していて、すぐに乗り換えられます。この日は土曜日だったせいか、JRで美濃太田方面に向かう外国人(といっても観光客ではなく、この辺りに生活しているヒスパニック系の家族連れ)の姿が目立ちました。先に美濃太田行きが到着し、私が乗る多治見行きと交換です。

可児駅に到着した美濃太田経由岐阜行き3629C キハ75-3306+75-3206

多治見行き3632C キハ75-3305+75-3205

太多線の風景をゆっくり楽しみたいところですが、約10分で多治見到着です。すぐ隣の側線の先に 普段お目にかかることのないEF64が停まっていましたので、カメラに収めて中央線の電車を待ちます。

多治見駅に停車中のEF641003  フォークリフトによるコンテナ積み下ろし作業を待っているところ。

中央線下りホームをEF641044単機回送が通過。この64には恵那で追いついた。

岐阜羽島から多治見まで 約3時間の短い乗り鉄旅でしたが、たいくつしない楽しい時間でした。恵那で皆さんと合流し、更に楽しい2日間の旅が続きました。当初の予定では帰路は高蔵寺から愛知環状鉄道で岡崎に出て、豊橋鉄道を訪ねようとホテルも予約していたのですが、残念ながら急な用事でまっすぐ三原に戻らねばならなくなり、愛環と豊橋はお預けとなりました。駅撮りばかりのイージーな記事になりましたがご勘弁を。

恵那への乗り鉄旅」への5件のフィードバック

  1. 西村雅幸様
    旅行会事務局の方から東京から参加の私に「遠路はるばるご苦労さん」と声をかけられたのですが、恵那、明智は関西と関東の中間(やや関西寄り?)で近鉄で来られたり、高砂等関西でも辺鄙(失礼!)な方もおられ、それらの方にも「ご苦労さん」と言いたいところです。、西村さんは広島で最も遠方からからの参加でしたね。お疲れであったことと思います。しかし、ただでは直行しないぞということで懐かしの名鉄線等の訪問記を発表され興味深く拝見させていただきました。新可児駅の5300系か5700系は2ドアクロスで廃車が進んでいる車両で気になるところですが情報有難うございました。先般の西村さんの薩摩旅行の鹿児島交通訪問記について関連写真として私の写真を近々発表します。

    • 準特急様
      コメントありがとうございます。新可児駅で撮った 正面窓の高さが違う電車が絶滅危惧種とは知りませんでした(正面に車番が写っておらず車番不明)この日は土曜日でしたが、名鉄沿線で電車にカメラを向ける同業者を何度か見ました。当たり前かもしれませんが、名鉄には名鉄ファンがおられるのだなアと変に感心しました。鹿児島交通の関連記事を楽しみにしています。

  2. 西村様
    立ち寄りレポート拝見しました。竹鼻線江吉良~大須の廃止の際、乗り収めするため、私も初めて岐阜羽島に降りたことがありました。そのあと、名鉄の鉄道線、軌道線の廃止が相次ぎ、何度も岐阜方面には行きました。まだ鉄道線、軌道線が元気だった頃の情景を、懐かしい思いで拝見しました。たた、その後、岐阜方面はすっかりご無沙汰で、今回の旅行も通り越して、いきなり中央西線へ向かいました。

    • 特派員様
      竹鼻線の大須へは行かれていたのですね。名鉄の支線はローカル色があって好きになりました。とは言え架線のない非電化私鉄の方がやっぱり魅力があります。樽見や長良川も再訪してみたいと思っています。

  3. 西村雅幸様
     なるほど!こういうルートがあるんですね。怠け者には名鉄ルートとは考えつきませんでしたが、再認識させて頂きました。
     ついつい、知らない土地ではJR中心で考えてしまいますが、様々なアプローチを事前に考える必要性をお教え頂きました。
     名古屋駅でお別れしましたが、急な予定で所期の目的が駄目になっておられたのですね。つゆ知らず・・・
     岐阜を走っていた路面電車の一部は福井鉄道で、愛知環状鉄道の一部車両はえちぜん鉄道で走っています。
     また、お目にかかれる機会を楽しみにしています。いろいろご教示下さい。

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