ホンマに難儀したがな。ちょっとでも撮影場所を書いといてくれれば、こんな艱難辛苦をせずものを。それで電子的BOXに持って行って、これは一体どこで撮ったのか教えてもらえないかとゆうてみると、そこは地の果てまで汽車を追っかける強者たち。摂津の国に住まいする何某がC12の何番がどこにいたのかということからわかるんと違うかと。いろいろな人がBOXに来ては、なんやかんや言って行くのであるが、なかなか。最初に高森線と思いきや、どうも明知線ではないかと。そして、背後の山から恵那と東野間のどこかでないかと追い詰めると、あとはO君がどこでカメラを構えたのか。O君は道なき道をかきわけて、写真を撮りに行くような戦闘的撮影行は見たことがなかった。彼の名作(迷作か)で「珍竹林」と題した写真があったのを思い出す。かといって日和見的でもなく、それなりにカメラを構えるところを探し歩いたに違いない。前回の投稿でコメントに書いたように、萩に親戚がいるので一緒に行こうということで夜行で厚狭に、美祢線で長門市を経由して萩へというコースであった。せっかくだから美祢線大嶺支線の蒸機列車を撮ることになり、南大嶺で降りて美祢線と支線の分岐点までいっしょに必死になって歩いたことがある。冬の朝方のことである。そんなO君だから線路に沿って歩いて撮影場所を探したのだろう。
撮影場所の手がかりをつかむには写真をよく観察するしかない。それでは今一度問題の写真を
電子的BOXでヤンヤ、ヤンヤとやった結果、現在の明知鉄道の恵那ー東野間のどこかであることは間違いないようである。撮影場所はどこなのか。前回の「ここはどこですか」の投稿で場所を推定した内容を書いた12月10日のコメントを再録して地図と、明知鉄道を訪問して現地を調べた写真で確認してみよう。以下、コメントにポイントとなる部分に今回訪問したことから追加説明をしてみよう。
「ここはどこですか」捜索隊の皆様 捜索に大変ご苦労をおかけいたしました。893-2さんのグーグルマップでの場所の捜索報告からさらに写真を注意深く観察して調べてみました。たぶん、893-2さんが示していただいた踏切(地図の踏切① 写真①がこの踏切から撮影)からもう少し東野寄りに墓地があり、この墓地から撮影したのではないかと思っています。(たぶん、➜の方向で撮ったのでは)
写真をよく見ると列車は築堤のところを走っているようです。この辺りを現在の地図で見ると線路をくぐっている道があります。写真にはワフの後ろに影のような部分が写っています。影かと思ったら、これは築堤を切通にして小さな鉄道橋梁ではないかと思いました。写っているものでここに影ができるものがないからです。さらによく見ると機関車と右側の小さな木の間に下っていく道が見えます。現在のグーグルの地図やストリートビューを見ると、線路をくぐる道と橋梁があります。右へ曲がると中央道の築堤をくぐって北側に行く道となっています。O君が撮影した時は中央道がなく棚田であったのでしょう。(1973年測量の地形図では中央道が建設中ですでに築堤が出来ているところから、O君の写真は1973年以前となる。そうするといつ頃に・・・)線路をくぐった所を見るとかつて道があったような痕跡らしきものがあるようです。そして写真の下側にある低い木は成長して列車が隠れる木立になったのではないかと思います。
大畑のループや出雲坂根のスイッチバックと同じように風景が変わってしまっているようです。(写真②は恵那から東野へ向かう列車の前で撮った写真。小さい鉄橋が見える。左側に道があり、すぐに直角に左に曲がっている。左側の茂みは中央道の築堤斜面である。右側も木が茂っている。O君の写真にある手前の木が成長したものかもしれない。)ところで撮影したと思われる墓地はストリートビューで見ると手でギッタンバッコンする井戸ポンプがあったり、五輪塔があることから古い墓地だと思われます。たぶん、ここから恵那方面に向かって明智から来る貨物列車を撮ったのでしょう。今は同じ写真は撮れないと思います。
以上で「ここはどこですか」は明智線(現在の明智鉄道)(この部分は明智ではなく明知です。駅名は明智駅ですが。他のコメントでは明知と記入したものもありましたが私のコメントのほとんどが明智となっていました。お詫びして訂正いたします。)の恵那-東野間であることがわかりました。撮影場所もほぼわかったのではないかと思います。あとは現地調査です。「ここはどこですか」捜索隊の皆様、これで何とかわかったような気がします。ありがとうございました。いつになるかわかりませんが、現地調査隊を派遣して無事その調査が出来れば、その結果をご報告いたします。
5月26日からのクローバー会明知鉄道ツアーで現地探査を行った。まず、撮影場所と思われる墓地へ行くことにした。
地図にある①ところである。たぶん、ここだと思うのだが、ここは実際に行ってみるとチラッと線路が見えるだけ。木が生い茂って写真が全く撮れない。だから、この時は写真を撮っていない。線路の反対側に行くことにする。O君の写真では1軒の家であるが、今は2軒ある。おばさんがおられたのでプリントした写真を見せて聞いたが、ご存じなかった。40年前からここに住んでいるのでわからないようである。(O君の写真がある年賀状には昭和48年の消印がある。45年前の年賀状であるから撮影した年はさらに古い。)お礼を言って、① の反対側に行ってみる。地図にある②のところである。ここから墓地の方を見ることができる。それが写真③である。
ご覧のようにこれでは写真が撮れないので②のところで間もなくやって来る上り急行大正ロマン2号を撮ることにした。
10分ほどで下りの大正ロマン1号が来るので場所をかえてみようとするがなかなかいい場所が見つからない。花が咲いていて築堤を見上げるところにした。
この写真は③から撮ったものである。トラ模様のポールの辺りに道を跨ぐ鉄橋がある。O君の写真には真っ直ぐに右側へ登って行く道が写っていた。今は③から中央道をくぐるトンネルで反対側に行くことができる。くぐって④の場所で写真⑥を撮る。
O君の写真で右側背景によく似ている。だんだんわかってきたようだ。
もう、撮影場所を決めていいだろう。O君の写真の撮影位置は地図の①に間違いない。(断定していいのか少し気が引ける。)恵那駅より距離にして1.4kmで、歩いて20分ぐらいのところであった。この後、恵那駅へ戻る途中「中山道ひし屋資料館」の方に写真を見せてお聞きしたのですが、よくわからないとのことであった。しかし、山が写っているのでこの辺りかもしれないとも。そして、翌日に明知鉄道の車庫を見学した時に案内していただいた方が機関助手をされていたので写真を見せて聞いてみると、すぐにこれは恵那と東野の間であると言われた。さすがで、これで決定。今回の最大の目的、O君の写真を撮った場所をさがすこと、これにて一件落着となった。最後に27日に飯羽間駅から恵那駅に乗った時に一番前に陣取った。何とか前方が見渡せる。例の場所を通過する時に写真を撮らねばならぬ。そして撮った写真がコレ。
ところでなんで明智駅から乗って、岩村駅で降りて、乗った駅が飯羽間駅?それはまた後で。
謝辞 前回の「ここはどこですか」を投稿した際にコメントをしていただいた方々、おかげ様でO君の撮影場所がわかりました。改めてお礼を申し上げます。
どですかでんさん!すばらしい!
調査報道の王道を歩く、ジャーナリストの鑑です。
一枚の写真を元に、今は亡き友人の足跡をたどる旅、感激しました。
我が家は浄土真宗で、その教えはいい加減で、墓や仏壇に魂はいない、南無阿弥陀仏と唱えるとそれが浄土へ届くと言っていますが、どこにいても亡き人の話題で盛り上がることが供養であるともいいます。今回のどですかでんさんの努力はまさにこれです。O君は極楽浄土で大笑いをしているでしょう。
どですかでん様
間違いないですね。O君はきっと喜んでくれていると思います。彼の笑顔が目に浮かびます。高森線ではないかと混乱を招いた張本人としては伏してお詫び申し上げる次第です。お見事でした。
どですかでん様
先日は明知線旅行では大変お世話になりました。今回の場所探しは大変興味深い報告だと思います。年月が経ち過ぎると木々が成長したり、家が建ち並んだり、道路が新たにできたりし、さらに住民も入れ替わって大変苦労されたことと思います。遠くの山並みで新旧の大筋の判断をし、さらに昔からの古老に聴くとなど有効な方法をとられたと思います。何れにしましても今後の撮影、特に昔行ったところへの再訪新旧対比撮影などにも示唆に富んだ報告です。有難うございました。O君喜んでいますよ。
どですかでん様
お見事!素晴らしい!・・・推理力と調査力、何よりも熱意が・・・感激しますね。頭が下がります。
それと会のメンバーの後押し。凄いなぁー!27日の朝の天候のような晴れ晴れとした気持ちになりました。
天国のOさんもきっと「ようやるなぁー」と感嘆しておられることでしょう。
おめでとうございました。
米手さん 私の家も浄土真宗です。しかし、念仏を唱えれば極楽浄土へいけるとかようわかりません。ただ、O君との繋がりというか「ご縁」がどこかであったということで、今回の明知鉄道行となったのではと思っています。不思議なことです。
西村さん 年賀状をもらった時も高森線と思っていました。彼が長崎出身だからです。明知線とは思いもよりませんでした。
準特急さん 「ここはどこですか」のコメントで多くの方からいろいろ教えていただいたから場所がわかったのです。さすがに全国を股にかけての撮影行をされている893-2さんのコメントは大変重要な情報でした。大津の86さんもそうです。クローバー会はすごいです。そうですね!マルーンさん。
どですかでん様
私もOさんの撮影地を訪ねるべく、当日1時間早く恵那に行き、それらしいところを歩きましたが、あの写真をコピーすることもなく「あーこのあたりだな」と思っただけで駅に戻りました。国民宿舎でお話をお伺いしたところ、昔の地図なども準備され、現地の方への取材もされたとか、さすが「探偵ナイトスクープ」ファンで元地歴部のどですかでん様の捜査に感心いたしました。それにしても周りの風景は変わってしまっていて、改めて40数年の年月を感じました。
大津の86さんが行かれたところは踏切①のところではありませんか。この場所に行った時はひょっとしたら、ここかもしれないと思いましたが背景が違っていたのでここではないと思いました。中央道がなかったらあまり違っていないと思いますが、草木が生い茂っているのでどちらにしても同じ写真は撮れないでしょう。
どですかでん様、最近はグーグルのストリートビューで撮影場所を探したりしているのでお役にたてて何よりです。
893-2様 大変役に立ちました。ありがとうございました。私も何回もストリートビューで見ました。鉄橋の下を明知鉄道をくぐった③のところを見ましたがもう少しというところがわからないのであとは現地に行くしかないと思いました。大体のところは検討が付きました。今回、北恵那鉄道大井線と岩村電気軌道の廃線跡を歩き写真を撮ったのですが地図上で撮影場所をメモをしなかったので帰ってからストリートビューで追っかけて地図上に記入しました。とにかく便利になったものです。