明知線ツアーご報告

5月26,27日明知線方面でDRFCクローバー会1泊ツアーが開催されました。先日の都電撮影会でもそうでしたが、当初の予報では雨のところ当日は晴れ渡り、改めて会員諸氏の日ごろの行いの良さが証明されました。       明智駅にあるC12保存機の前で記念撮影

参加者は19名、年代も‘64年度生から’85年度生まで約20年に及ぶ多彩な顔触れです。集合の恵那駅までの行程は皆さんまちまち、私は少し早く出て、中津川で北恵那鉄道の遺構を見た後、「デカンショ祭り号」さん、「893‐2」さんと合流、「893‐2」さんの車で中央西線の有名撮影地で貨物列車を撮影しました。↑ 中津川駅から徒歩15分のところにある第一中津川鉄橋、途中からは完全に草に覆われている。

↑ 中央西線坂下近くの有名撮影地にて

集合場所の恵那駅に15時に到着すると、駅には名古屋在住のN先輩がおられました。27日は所要があり欠席すると返事を頂いていたのですが、是非会のメンバーに会っておきたいとのことでわざわざ来られました。16時になると続々とメンバーが集まり、N先輩に見送られて16時15分発「半分、青い」のラッピング車で飯沼に向かいました。↑ 乗車したのは「半分、青い」のラッピング列車

↑ 側面にはヒロインの姿が大きく描かれている。これを目当てに乗る人もあるらしい。

↑ 夕方の明智行は地元の人が多くクローバー会会員と半々くらい

飯沼で先に岩村方面に行かれていたメンバーと合流しましたが、1人足りません。飯沼からは宿の国民宿舎恵那山荘からの迎えの車で宿に向かうことになっていたのですが、もうその方は先に宿についているとのこと、地図で見ると駅から国民宿舎までは6.5km登りの連続で所要時間1時間46分と書いてありました。相変わらずお元気な諸先輩に脱帽です。

 

↑ 飯沼駅に到着、勾配日本一の駅という看板があるが、一番は京津線大谷駅では?

18時から宴会の後「1900生」さんが持ってこられた飯田線の旧国電などのDVD映写会が行われました。画面を見ながらワイワイ、ガヤガヤ突っ込みの連発、消灯時間の23時まで50年前のBOXでの会話が再現されました。

↑ 会長のご挨拶の後はエンドレスの宴会に突入

翌日は皆さんすっきりとお目覚め、朝食会場には開始の7時過ぎにはほとんどの方が揃いました。9時に宿を出発、飯沼から明智に向かい元SLの機関助手をされていたという方のガイドで車庫の見学をしました。保存されているのはC12とヨ8000形貨車、C12244は明知線の最後の貨物列車を牽引し、昭和48年11月になった後は明智小学校で静態保存され、平成25年12月に明智駅に移動しました。ファンクラブの方などの手で、きれいに整備されており、圧縮空気動力ですが、年に数回構内を往復して乗車体験もできます。車庫の中では気動車が整備中で、こちらも合わせてたっぷり1時間ほど見学することができました。

↑ C12 244号機この後ろにヨ8000があり、イベントの折は、これに乗って車庫内を往復できる。

↑ 現在明知鉄道にはアケチ10形5両、アケチ100形1両の計6両が在籍中

この後恵那に行き、恵那発の「急行大正ロマン号」の乗車です。この日は日曜日で1両の一般車に2両の食堂車がつき、定員60名が満席の盛況でした。アテンダントさんの軽妙な話を聞きながらの食事、途中アテンダントさんの家の横を通ると、娘さんが走りながら手を振ってくれて、家族ぐるみのもてなしです。

↑ 「大正ロマン号」の車内、こちらはおばあちゃんの山菜弁当列車、隣の車両は寒天列車で三段重ねの弁当と差がついた。

明智で解散となりましたが、私は「半分、青い」の舞台の岩村へ行きました。ここは宿場町のように通りの両側には昔ながらの建物が並び、電柱がなくすっきりしています。「半分、青い」で賑わっていますがそれに関係なく、なかなか良い街で、賑わいが一過性でないことを望みます。

↑ 岩村の町並み。こんなきれいな街並みが1㎞にわたって続く。

↑ 「女城主の酒」岩村酒造にはトロッコの線路が残る。

年に1回の1泊旅行をこれからも続けていきたいと思いますのでぜひ皆さんご参加ください。ご報告まで。

明知線ツアーご報告」への4件のフィードバック

  1.  沢山の方々にお集まり頂き、天候にも恵まれ、良い旅が出来ました。
    お世話頂いた方々にお礼を申し上げます。
     朝の連ドラの舞台、そして「鶴瓶の家族に乾杯」等々の効果でしょうか岩村や明知の街は相当な賑わいで、単行の明知鉄道は満員の時間帯も多かったですね。感心したのは路盤を始め雑草や走行障害となるような枝等は一切なく保線管理が行き届いていました。
     明知でご案内頂いた社員の方にその旨をお伝えしたら、運転士が走行障害になるような事象があれば、すぐ直せと意見具申がある。管理担当は本当に頑張ってくれているとのことでした。偉いぞ!明知鉄道でした。
     宿泊した国民宿舎「恵那山荘」は海抜900メートルの緑と湖、ウグイスの鳴き声が響き渡る素敵なところでした。そこで、本文に書かれていたように、半世紀前のBOXが再現されたのでした。
     次も皆さんどんどんお集まり下さいね。

  2. 事務局さま
    何かとお世話になり有難うございました。おかげさまで楽しい時間を過ごすことができました。感謝感謝です。事務局さま始め予約・手配頂いたご関係の方々に御礼申し上げます。
    先に北恵那鉄道の遺構を見にいかれたのですね。写真の鉄橋が残っているのは知っていましたが、なかなか立派?に残っているのですね。坂下北方でも撮影されたのですね。写真の左側、川の対岸に中央西線旧線の路盤跡が残っています。旧線は川を渡らずに川の対岸を通って坂下に向かっていました。でももう樹木が生い繁ってわからなくなっている可能性はありますが。

    • 1900生様
      こちらこそ、DVDをご披露いただきありがとうございました。貴重な映像の数々に加え、皆様からの鋭い突っ込みと、それに対するお答えのやり取りも楽しませていただきました。
      また、いろいろな機会にお宝映像を見せて頂くのを楽しみにしております。

  3. 会長様、事務局様、会員の皆様
    大変お世話になりました。
    いつもながらの企画旅行、JTBやキンツリもこれほどではありません。
    さすがの企画力でした。
    次回も生きていれば参加いたします。ありがとうございました。

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