向山のグリーンユースで泊まった翌日は、前記のように、南部縦貫鉄道へ行くことにしました。清々しい雪晴れの朝で、足取りも軽く駅へ向かいます。思わず撮影意欲が沸々と湧いてきましたが、これが間違いのもとでした。南部縦貫へ行く前に、欲張って三沢で下車して十和田観光電鉄も撮る計画に急遽変更しました。
ところが何としたことか、時刻表を読み違え、十和田観光電鉄を撮って南部縦貫が接続する野辺地に着くと、南部縦貫のレールバスは10分前に出たあと、次に戻ってくるのは数時間後。色気を出したばかりに、本命を逃してしまい、結局、南部縦貫鉄道はその後も行く機会はなく、一枚も撮れないまま廃止されてしまいました。
▲三沢で発着する十和田観光電鉄(十鉄)を撮りに行く。巨大な温泉旅館の近くまで歩き、モハ3401+クハ4401を撮る。たいへん垢抜けした、いかにも電車らしい電車である。この塗装がまたいい。1955年帝国車輌製、東北地方初の全金製である。十鉄では1981年から東急のステンレス車の導入が始まり、十鉄電化以来の生え抜きモハ2400や定山渓から来たモハ1207が廃車になった。しかし、2002年に全車東急車の置き換えが完了したのちも、このモハ3401だけはオリジナル塗装のまま、もう一両のモハ3603とともにイベント用として残っている。
ただ、十鉄は存続の危機に立っている。昨年の年間利用者は45万人で、10年前から24万人減少した。少子化、沿線人口の減少に加え、東北新幹線の全通による客離れが大きなダメージとなった。近くの新幹線七戸十和田駅から十和田湖などの観光地へバス路線が整備され、同駅と連絡しない十鉄は、いっそう取り残される結果となった。沿線自治体に財政支援を求めているが、財政難の折、難色を示していると報道されている。
▲南部縦貫に振られた野辺地駅では、つぎの列車まで発着する列車を撮るしかない。やがてED75に牽かれた下り「ゆうづる」が通過する。「ゆうづる」は3往復あったが、2往復は583系、残り1往復のみが20系客車で、いわばC62「ゆうづる」の血統を受け継いだ伝統の列車だった。この時代、東北本線の牽引はすべてED75、ブルトレは20系、そしてヘッドマークは付いていない。あまり興味の湧かない時代であった。
▲訪れた昭和46年2月、札幌では冬季オリンピックが行われていた。これに合わせて、観客輸送のため、札幌~函館間、青森~上野間に臨時特急「オリンピア」が運転された。函館~札幌間は82系DCで、上野~青森間は写真の583系で、下りは常磐線経由の夜行、写真の上りは東北線経由の昼行だった。「オリンピア」と言えば、東京オリンピックの際に運転された151系が有名だが、札幌オリンピックでも、期間中の18日間だけ運転された。ただ、北海道への移動は航空機が常識になりつつあり、設定も急だったため告知が十分でなく、利用率は散々だったようだ。まぁ、この列車が撮れただけで、南部縦貫の代償にはなった。