窓から写した駅・列車 -2-

 中国地方の駅交換

「窓から写した」シリーズ、はじめます。まずは、中国地方の駅交換シーンから。時代は、昭和40年代初頭、高校生の頃で、家族旅行でも撮影旅行でも、行き易い中国地方へはよく行ったものでした。まずは宇野線から。今でこそ宇野線は盲腸線に成り下がってしまいましたが、当時は、四国連絡のすべて担っていた一大幹線でした。syIMG_0013終点、宇野駅。跨線橋の向こうには瀬戸内海が広がっていた。宇野発のゲタ電の窓から見ていると、宇野線のピカイチ、下り特急「うずしお」が入線してきた。「うずしお」は、大阪を始終発とする四国連絡特急で、昭和36年10月改正で登場した。当時、関西~宇野は準急(のち急行)の「鷲羽」が主力で、いきなりの151系特急の誕生だった。特急は500キロ以上運転が相場のなか、200キロ余りは異例の特急設定だった。

列車は、折り返し新大阪行き「ゆうなぎ」となるため、ホームにはヘッドマークが用意されていた。左の客車編成は、「うずしお」より一足先に到着した東京発の急行「さぬき」(昭和40年3月)。 

syIMG_0014宇野から乗ったゲタ電が、岡山到着を前にした妹尾で10分余りの停車、なにせ宇野線は単線のところ、すべての四国連絡列車が通るから、列車交換が頻繁にある。やがて通過したのは東京発の急行「瀬戸」、この前の「さぬき」は寝台夜行列車だが、「瀬戸」は2等車(当時)が主体の夜行列車。その先頭に立つのは、新製まもない宮原区のEF61だった。パノラマウインドゥ、1個ライトの顔もなかなか魅力的だが、よく似たEF60と比べると、SGを積んでいるぶん1.6メートル車体が長い。側面の鎧戸・小窓が横長にまとめられているため、さらに長く見える。その特徴ある側面を見せながら旅客列車の先頭に立つ姿は、たいへん魅力的だった。妹尾駅は、地上駅のまま残り、駅舎は橋上化されている。