山陽電車(4)西代-長田間 神戸高速鉄道建設

前回の投稿記事の話から1年後、神戸高速鉄道への乗り入れ工事が本格化しました。西代-長田間の工事は、専用・併用軌道の付替え工事を伴い、複雑でした。長田-兵庫間の内、長田-大開通り間は、山陽併用軌道の北側道路を掘削すればよく、普通の工事だったと思います。また大開通り-兵庫間は工事が無く、高速鉄道開通時に廃線するだけでした。
さて西代-長田間ですが、工事の順序は大きく分けて、下記の地図の①~③のようなものでした。
①大道通り-長田間の民家・商店の立退き、道路の北側への移設、道路下を堀削し地下建設。
②蓮池町-大道通り間の道路の移設、上記①と合わせて専用軌道の付替え線建設、運行開始。
③運行停止の専用・併用軌道を堀削、地下進入線と地下工事開始。完成後は開通まで新線を使った試運転。西代駅では付替え線と新線との並行運転が見られました。

▼①の部分の工事の様子です。カメラは西南向きです。すぐ横の併用軌道を2700系が進む。

▼専用軌道の横での付替え線建設です。既に一部の軌道が完成し、支柱も立っています。②の部分です。東向き、右手に工場群が。

▼こちらは、専用軌道から併用軌道に変わる付近、軌道と付替え線の間にスペースもあります。西南向き。

▼それからさらに5ケ月後。すでに付替え線での運行が始まっていました。西代駅のすぐ東側です。右手の専用線の線路はすっかり撤去されてしまいました。手前の信号機はもう使われてはいないのでしょう。新線予定地に早くも架線支柱が立っていました。北東向き。

▼上と同じ場所、逆に西向きです。付替え線に2700系が進入して行くきました。左手の信号機はやはり使われていませんね。後方に西代車庫の電車が見えます。

▼専用軌道のあった部分はすっかり堀起こされました。地下への傾斜進入部分。少し遠くに地下への入口が見えます。東向き、右手は工場群。


▼付替え線を行く200型です。後方の建物は、神戸市立蓮池小学校、震災では大きな被害を受けました。西向き。

▼地下入り口付近から西側の、西代駅方面を眺めました。

▼併用軌道の始まりの部分です。機材・資材が溢れています。北東向き。

▼併用軌道はすぐには撤去しなかったようです。小屋、機・資材で軌道も少し哀れな姿に見えます。

▼新湊川の手前でカーブして、長田駅で元の軌道に戻ります。カーブ部分の下も地下工事です。付替え線東側の様子です。

▼カーブ付近を行く、共に2700系ですが顔が異なります。住民の南北への移動用に、簡易の踏切が何箇所か造られていました。

▼長田駅と新湊川の手前でカーブして、元の軌道に繋がります。付替え線はすべて専用軌道となりました。

▼それから1年。工事が完成、試運転が開始されました。阪急と山陽。左手は付替え線です。神戸高速開通時の廃止が勿体無いクロスがあります。

▼こちらは山陽の試運転列車。

▼当然のことながら、阪神も試運転。須磨浦で折り返しての帰りです。 

▼神戸高速鉄道線向けの山陽の主力電車が通常運行。地下からは試運転の2700系が上がって来ました。 
▼構想以来、完成まで何年掛かったことでしょうか。神戸の中心部で山陽、阪急、阪神の相互乗り入れ、神戸電鉄ともイージーな乗り換え。山陽電車の夢がかなった開通は1968年4月7日でした。

200型の話題に始まった山陽電車。併用軌道の話のついでに神戸高速鉄道建設なども紹介しました。時と機会を改めて、60年代前半の山陽電車車両も紹介してみたいと思います。それから神戸市電も。