今回の北海道訪問では、鉄道ファンを名乗る以上は、僅かでも鉄道に貢献すべく列車乗車も行いました。根室本線では、厚岸~根室間を往復乗車しましたが、列車に乗ってみると、北海道の鉄道の衰退ぶりが身を持って感じられます。
乗車したのはキハ54の単行、車内は廃車発生部品の転換クロスシートに改造され、座席定員は約50名。しかし実際乗っていたのは、20人程度です。このことから、厚岸~根室間での一日輸送量(片道)はせいぜい150~200人と想像されます。釧路~根室間は、花咲線の愛称が付され、同じ根室本線でありながら滝川~釧路間とは運転形態も区別されています。同区間でも釧路から厚岸までは、小さいながらも釧路の都市圏を形成し、通勤通学需要があるようですが、厚岸~根室間に至っては、超閑散路線となります。
実際、列車に乗って見ても、駅間には人家は見られず、ただ原野が広がるのみ。駅前ですら、かたまった人家があるのは、茶内、浜中、厚床、東根室程度で、あとは駅周辺にも人家すら見られません。乗車した日は濃霧の影響もあって、よりいっそうの寂寥感を覚えたものでした。
この区間は40年前にも乗りましたが、人家もあって、もっと活気がありました。沿線の過疎化は想像以上に進んでいるようです。途中、茶内駅で撮った列車交換シーンは、意識していなかったのですが、偶然40年前と同じ位置から撮っていたことが判明、図らずも時代の推移を感じたものです。
▲霧の立ち込める茶内駅に進入する5624D列車。この列車の釧路到着が8時24分のため、珍しく6人もの乗客がいて、高校生も見える。下の40年前と比べると構内の配線は変わっていないが、周囲の光景はすっかり寂しくなってしまった。
北海道は意外に都市間連絡のバスが発達している。釧路~根室間には札幌からの便も加えてバス6往復、所要時間3時間10分程度で設定されている。鉄道は7.5往復、快速で2時間、普通で2時間20分と優位にあるものの、運賃はバス2190円、鉄道2730円で、やはりJR北海道の割増運賃が大きなネックになっている。沿線の国道を走っても、通行量は極めて少ない。旅客、物流とも、この地はやはり最果ての地域なのだろう。
▲昭和46年3月、茶内駅に入ってくるのはキハ083+キハ2118の2両編成、先頭のキハ08はオハ62からの改造車で、車内は種車の客車そのもの。この日は、鉄道同好会の仲間と茶内~糸魚沢間で撮影し、この列車に乗って釧路へ戻るところ、ホームの中ほどに江若鉄道の模型復元に情熱を燃やす西村さん、鴨川鉄道社長を自任する津田君の姿も見える。当時はこれほどの乗客があったのだ。
根室本線の列車は、DCは2連、客車も混合列車として走っており、荷物・郵便車を含む4両編成だった。札幌からの急行列車も運転されていた。
▲当時、茶内駅を出ると、右手には、簡易軌道の乗り場があった。茶内駅前から西円朱別、上風蓮、別寒辺牛へ向かっていた浜中町営軌道で、その当時残っていた簡易軌道では最大規模だった。小規模ながらも旅客営業を行っており、茶内駅は簡易軌道からの乗換客もあって賑わっていたのだろう。中央に見えるのが「自走客車」と呼ばれる無番号のDC、左手には、この軌道の主要な輸送であるミルクの運搬車が見える。現在この場所に立っても、それを偲ぶものは何もなかったが、茶内駅の事務室に、写真や資料が展示されていた。