今冬は各地で積雪が多いようです。ところが大阪湾に面した地域、兵庫県南西部、大阪府では滅多に降らないし積もらない。わが街でも今冬まだ雪を見ていません。この現象は昔も同じで、雪見たさによく雪国へ出掛けたものです。
拙著HP(ホームページ)にも、初期の作である奥羽本線を始めとする雪景色のページがあるのですが、これらはページを改良する必要があります。スタイルが現在の標準と異なり写真の数も少ないのです。時刻表やダイアグラム、古い地図の掲載もありません。改良の準備で、新たに写真やダイアも用意しました。先にデジ青でもご覧ください。
暖かい部屋でネットを楽しんでいる皆さん。眠気を少しは覚ませるように、寒くて冷たい画像をお届けします。筆者の暖かい配慮に感謝しながらご覧いただければ幸いです。
(画像をクリックして、大きな画面でご覧ください。)
奥羽本線の難所のひとつが矢立峠です。大館から弘前までの44.2kmの内、大館から順に10‰、14.7‰と上りこう配が続き、陣場–矢立峠間は25‰です。この難所も1970(昭和45)年11月に矢立トンネルが完成し陣場、津軽湯ノ沢駅も場所を移動して一直線の新線に付け替えられました。さらに翌年には電化と一部複線化もでき、難所が消え去りました。
(なお余談ながら、この地図からは、大鰐・碇ヶ関・陣場・白沢各駅から沢山の林用軌道が施設されていたのが解ります)
1965年当時の牽引機はC60(客車用)、稀にC61(客車用)、DF50(急行「日本海」、急行「第1、2津軽」、客車)、D51(貨物用)、補機はD51(弘前、大館機関区)でした。
列車には下り及び上りの旅客、貨物ともに陣場-碇ヶ関間でD51の補機が付きます。長大貨物には大館から、さらに陣場からも付きますのでダブル補機です。碇ヶ関からの上り列車にはダブル補機が偶に見られました。急行「日本海」の牽引はDF50ですが、下りは大館から、上りは大鰐からD51補機が付きました。急行「第1、2津軽」に補機は付きません。
珍しいC61【仙】牽引の客車です。激しい吹雪の中でした。
補機の方向転換は行われず、常に大館向きですから、矢立峠の下り列車は逆向きで後押しして峠を上ります。ダブル補機も同様です。C605の牽引とD51の補機で、客車列車が通過しました。
長大貨物には、大館から、陣場からさらにD51補機が加わります。トップと合わせればD51三重連です。
峠に矢立温泉があり、奥羽線鉄橋下の雪深い谷間にひっそりと眠っているようなたたずまいでした。画面上部と左端に見えるのが、それぞれ鉄橋と橋脚の一部です。1965年の大晦日の泊まりはここでした。真っ赤な鉄泉の為、手拭は旅館のものを使い、重くて長細い板でできた湯船の蓋を一枚ずつ捲って入浴した記憶があります。
部屋の窓から鉄橋を行く列車が良く見えました。撮影したのですが窓枠が邪魔でうまく撮れませんでした。
翌日1966年の元日は、矢立峠の青森県側で撮影です。