わらくろやツアーin鹿児島

マルーン会長を鉄道界の“漢(おとこ)”にしようと始まった旅もついに九州は鹿児島まで来ました。

今回は初めての二泊三日の豪華旅。わらくろや社長の渾身の企画です。
10月9日
新大阪発9:17さくら549から始まりました。四人一組のセットですから一ヶ月前に指定席をそれぞれが一斉に買わねばなりません。10時に窓口に並ぶようにするのですがこれが難しい!私は京都駅みどりの窓口で並び、ちょうど10時に窓口にたどり着きましたが社長から指定された5号車は全席売り切れ(というより修学旅行用で)。あわてて社長に電話したら「4号車で同じ座席をとれ」とのことで無事購入完了。後の三人にも社長から電話で指示。なぜかわらくろや旅行社はキップをとらず、各自でとる方式です。リベートをくれないところには冷たいらしい。
鹿児島へ13:31着後、なぜかソフトクリーム店へ強引に連れ込まれ、知覧茶の抹茶ソフトを全員で購入します。どうやら社長はサイダーをやめてソフトクリームに乗り換えたようです。そういえば前回の津山でも津山城でソフトクリームを我々に買わせて、自分は「岡山名物の桃ソフト!」と言って食べたうえ、さらに売店のお姉ちゃんにヒソヒソ話したと思ったらバニラソフトを舐めていました。

その日は南薩鉄道の特急バスで枕崎へ。

なにやら社長は幼少期、枕崎に住んでいて、知り合いが多いとかで挨拶回りにレンタカーを借りて(しかも軽四に四人を詰め込み)私を運転手にして「観光案内所へ行け!お魚センターへ行け!」とこき使われました。

夕食は社長のソウルフードという「ちんこ料理」なる秘宝館メニューでした。

翌日10日も運転手として海岸を走り回り“さつま白波”の蔵元を見学してアセチレン・カーバイド臭のする焼酎の試飲をして盛んに購入を勧めていましたが、買ったのはマルーン会長が一本と選挙管理委員氏が鰹節だけだったのでご不満の様子でした。

13時過ぎの指宿枕崎線に乗って一路鹿児島へ向かいます。キハ47×2の恐ろしく揺れる列車は、車掌の「赤字線だからしかたがない」の説明と共に鹿児島駅に転げ込んだ。接続は16:18日豊線の特急きりしま14号で隼人まで行きますが、なんとしたことでしょう!この特急に通学の高校生が平然と乗っています。薩摩の所得は高いのでしょうか?
そして今回の目的、肥薩線の旅が始まります。私は学生時代以来55年ぶりです。
かつてはD51に牽かれたオハユニ61だったかスハフ32のWルーフだったかで登った記憶が甦ります。栗野駅の外れに小型蒸機が保存されているとマルーン会長が言われたがはっきりとは見えませんでした。記憶をたどると昔は山野線との分岐駅、C56かもしれません。吉松から今夜の宿の京町温泉へはそのまま乗り入れです。かわいい若女将のお出迎えで疲れもとれました。

広い構内はかつての吉松機関区の跡

いよいよ最終日、11日。天気予報は台風19号の接近を伝えていますが九州は快晴です。人吉まで真幸、大畑、矢岳と肥薩線の目玉商品が並んでいます。でも8:46のキハ40は愛想なく通過していきました。

日本三大車窓が言えますか?ここはその一つ。煙を吐く桜島まで見えました。

マルーン会長が日本三大車窓を考えている間にキハ40は人吉に到着しました。

名物の鰻屋はなぜかお休みで、社長の息のかかったクレジットカードの使えない鰻屋で昼食をして最終目的の「SL人吉」号に乗車です。

先客の「七つ星」。先発しました。

駅前の喫茶店でソフトクリームを食べさされていると、先発の「七つ星」や「海幸山幸」などが入線して、JR九州の意気込みが感じられました。

いよいよ「SL人吉」の出発です。
オハ50系3両の水戸岡デザインはきれいではありますがやまぐち号と同じくノスタルジーは感じませんでした。そればかりか床下の発電機がうるさく、DCに乗っている感じがしてイヤでした。しかし、沿線の方々のおもてなしはすばらしく、遠くの農家の方も、近くの子供たちも手を振って見送ってくれます。それが鹿児島本線に入っても続きました。これには感激してマルーン会長や選挙管理委員氏に、窓外を注意して見て、振っていたらお応えするようにと厳命しておきました。

こうして予定を違わせることなく、無事に帰ることがでしました。これもわらくろや社長のご人徳と感謝しております。

ついでながら帰途のさくら566号は4号車で指定席でしたが、後の3号車ではなにやら阿鼻叫喚のふうで、ホームで笛は鳴るわ放送で「中へ詰めてくれ。発車が遅れる」挙げ句の果ては「4号車、5号車のデッキは自由席券で乗ってもかまわない」と車内放送があって、振り返るとデッキとの仕切り扉付近はさながらゾンビが押しかけているような有様。台風での計画運休を避けるため列車に殺到したための現象でした。

指定券は一ヶ月前に購入すること、肝に銘ずる旅でした。

4 thoughts on “わらくろやツアーin鹿児島

  1. コメント欄に初登場させていただきます。最近、米手氏の御投稿の中でちらほら出てくる怪しげな旅行社?のワラクロ屋と申します。
    米手氏から今回のワラクロ屋南九州ツアーについて早速の御紹介をいただきましたので、ワラクロ屋のご案内を少々。ワラクロ屋ツアーでは鉄道旅をメインにポツンと一軒宿のひなびた温泉を目指します。決して有名観光地や有名温泉には参りません。初回の木次線で向かった奥出雲のカタクリの里(カメムシの里?)斐乃上温泉のように、分け入っても分け入っても青い山の方へ向かいます。究極の目標は廃線ツアーで、旧士幌線のタウシュべツ橋梁に行ってみたいですね。最後に当社ではキックバックは求めておりません。でもソフトクリームは3つぐらいは大丈夫です。枕崎で食したのは、ちんこ料理ではなくびんた料理です。かつおのちんこ(ハート)は入っておりますが。

    • 社長の人脈と慧眼には感心させられます。
      社長の予言通り、枕崎線の枕崎-指宿間は早晩廃止されるかもしれませんので、北海道の開拓地を走るダンプ並みの乗り心地を体験したい方は早めに行った方が良いと思います。ご用命は「わらくろ屋」まで。

  2. 米手作市様
     思わず引き込まれる筆力、「凄か!」の一言です。(内容の一部は別として)
     廃線「山野線」NHKBSでの放映情報有り難うございました。
    その番組「プレミアムカフェ」で翌日の放映内容が、あそBOYと整備士たちと特急つばめ物語でした。録画して再生したところ、あそBOYは何と私たちが乗ったSL人吉の牽引機「58654」ではありませんか。なんとその機関車の復活、再生の物語でした。
     昭和56年引退後元機関士の得田徹氏に引き取られ、矢岳駅横に同氏が設置された「人吉市SL展示館」で同氏所有のD51 170と共に展示されていた由、昭和61年復活運転したいというJR九州の意向を受け入れられ、あそBOYとして復活。その受け入れ条件が年一度人吉まで整備した機関車を店に来ることだったそうです。
     整備のすさまじさも圧巻でした。
     あそBOYは2005年運転終了、現在はSL人吉として活躍中。その機関車が引く列車に乗れた幸せを感じ入った次第です。
     この番組は「走れ鉄路の巨人~あそBOYと整備士たち」として2002年放映されたもので、ナレーションは故大滝秀治さんでした。アーカイブスで見られるそうですが。
     良い機会をワラクロ屋さん有り難うございました。

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