天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【8】

北陸の私鉄を巡る ② 京福電鉄越前線

前記の福井鉄道南越線を訪問し、会社の保養所に泊まった翌朝、逃げるようにして保養所を去り、京福電鉄(現・えちぜん鉄道)越前線へ向かい、Fさんと合流して、東古市、勝山、京福大野へと来ました。京福越前線の勝山~京福大野は、昭和49年8月12日限りで廃止されることになり、幸運にも廃止の前日に訪れることができたのでした。
勝山~京福大野は8.5km、途中、唯一の交換駅である新在家で、ハデな「サヨナラ」装飾のホデハ223とすれ違う。新在家、下荒井六呂師口付近は、九頭竜川に沿って、未舗装道路の横を砂塵を巻き上げて電車が走る、野趣豊かな区間だった。

京福電鉄(現・えちぜん鉄道)越前線は、京都電燈によって、大正3年、新福井~大野口が開業、福井と大野が、勝山経由で結ばれた。のちに、京福大野(当時・大野三番)まで延長された。戦時中、配電統制令で電力会社の鉄道兼営が禁じられると、京都の鉄道線とともに、京福電気鉄道となった。この路線は、北陸地方では、最初の電気鉄道であり、勝山~大野は、奥越地方の輸送を独占していたが、国鉄越美北線が昭和35年に勝原まで開業されると、ショートカットで福井と大野が結ばれて、京福線は旅客、貨物とも、大きく落ち込んだ。加えて、沿線のモータリゼーション化も進み、廃止が申請された。
東古市(現・永平寺口)~下志比の田圃のなかで、ホデハ251形の2両編成、車内はクロスシートだった。この時代、越前線には、京都電燈時代のオリジナル車のほか、南海、阪神から来た電車が入り交じっていた。二面三線の京福大野駅で発車を待つ、17:02発の福井行き、271+272+273、駅舎は、付近のバスターミナルも兼ねた、立派な駅舎だった。「サヨナラ」装飾の電車はホデハ223、昭和5年製の14mボギー車。京福越前線は、その後、枝線の永平寺線(東古市~永平寺)を廃止した。その後も、二回、正面衝突事故を起こし、全線の運行を停止、自社の運転再開を断念するなど、苦難の道を歩むことになる。

1 thought on “ 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【8】

  1. 総本家青信号特派員様
     当時終端駅であった京福大野駅の貴重な写真を拝見し、思いを新たにしています。終端駅らしい佇まいですね。3連の電車も・・・
     丁度廃線の時に行っておられたのですね。サヨナラ電車なんとも派手で京福の色が真っ赤で・・・!?
     ホデハ251の2連、良い写真ですね! 京福のスターでしたね!

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