天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【20】 秋編

草津線の蒸機列車

前回掲載の加太とセットで、草津線へもよく行ったものです。牽引するのは、亀山区のC58、D51と、加太で見るカマと同じで、見せ場となる勾配区間もないものの、草津線の魅力のひとつは、長編成の客車列車が朝夕にあったことで、貨物も日中に結構走っていました。京都からだと、まず草津線で2、3本を撮ってから、午後、加太へ向かう、と言ったセット撮影も可能でした。しかし、加太がある関西本線亀山~奈良の蒸機の廃止より、一年早い昭和47年9月限りで蒸機は姿を消しました。DL化直前の草津線には、朝夕を中心に4往復の客車列車があって、線内は亀山区のD51が牽いていた。うち3往復は京都発着で、通勤時間帯は、写真のように客車10両編成だった。この時代、ほかの線区でも蒸機の牽く旅客列車は残っていたが、これほどの長編成は、なかなか見ることができなかった(726レ、石部~三雲 昭和47年9月)。

 

草津線の旅客列車のなかで、京都発亀山行きの724レは、唯一、昼間に走る旅客列車で、土曜日に授業を終えて、724レに乗って加太まで行き、村田屋に泊まって、翌朝から撮影、ということも可能だった。いわゆる“SLブーム”の頂点の頃で、土日の同列車は、ご覧の有り様だった(油日~柘植)。実りの秋のなかを行く786レ、貨物は梅小路発で、草津からEF58に代わって、亀山区のD51が牽いた。信楽線にもC58の牽く貨物が一往復あって、このC58は、亀山~貴生川は、D51貨物の後部に、補機を兼ねた回送となって来た。

貴生川~甲南の八坂神社の参道から、鳥居の向こうを行く急行「平安」(名古屋発京都行き)をとらえる。この八坂神社には、草津線開業の頃を描いた鉄道絵馬があると言う。草津線は、関西鉄道の発祥となる路線であり、この「平安」の経路は、まさに関西鉄道が夢に描いた経路だった。

草津線の最終蒸機列車として、ダイヤ改正の初日に当たる、昭和47年10月1日に京都~亀山に「さよならSL近江路号」が運転された。牽引機は、ヘッドマークを掲げたD51442だった。

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