天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【5】

ツツジから新緑へ 蹴上を行く

先日の本欄で蹴上のツツジを載せましたが、“これだけ!”と思っていたら、別のところからまた出てきました。今回はポジで、前回はネガ、当時はカラーのネガ・ポジの両刀づかいだったことを、初めて認識しました。いずれもスキャンしてデータ化する過程は同じですが、結果は少し違います。ネガからは軟調に仕上るため、なめらかな階調があり、フィルムの劣化さえなければレタッチに手間は掛かりませんが、ポジからのスキャンは、コントラストが強くて白トビ、黒ツブレがあり、濃淡の調整に手間を要します。今回は、そんな違いも感じながら、5月のツツジ、そして6月の新緑へ移っていく蹴上付近の情景です(以下1997年5・6月撮影)。
紅白の幔幕が張られた蹴上浄水場の横を行く、京津線の80形、蹴上には仁王門通に陸橋があって、ここから、京津線がうまく収まった。

前回と同じ浄水場から俯瞰した風景だが、ほぼ北の方向を向いている。ここからだと、黒谷から吉田山へ続く丘陵が見え、京都は、高低差の上に広がった街であることが分かる。緑も次第に濃さを増すなかに、緑の濃淡の準急が過ぎて行く。右手、南禅寺に通じる、インクライン下の“ねじりまんぽ”が見える。

人出の多い時の蹴上は、たちまち狭い電停に乗客があふれる。やっと電車が到着すると、下車客もあって、なかなか乗降が捗らず、たちまち遅れが発生する。職員も臨時に出て、切符・料金の収受を行なう。上下ですれ違う準急、600形と700形。大津線には当時、260形などの旧型車は残っていたが、京津線には入線はなく、準急は両形式で占められていた。蹴上から九条山方面に歩を進めると、最大66‰勾配が介在する山岳区間に入る。短区間ではあるものの、碓氷峠に次ぐ、我が国二番目の最急勾配で、昭和初期に京津線に初めて回生ブレーキ車両を誕生させた。

40.7‰の勾配標を見ながら、九条山から山科方面の下り勾配に掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

梅雨時ともなれば、アジサイの花も見られた。横を走る三条通のクルマの喧噪さえなければ、一幅の絵だった。勾配区間のサミット地点に九条山駅があった。人家は少なく、乗降は極端に少なかった。付近には、旧の東海道が走り、その関連の旧跡や石碑、また東海道に敷かれた“車石”に関する記念碑も残る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください