天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【7】

北陸の私鉄を巡る ① 福井鉄道南越線

最近の投稿・コメントを見ますと、“昭和”への思いの強さを感じます。今や二世代前の時代ですが、われわれ世代にとっては、輝きを失わない時代と言えるのでしょうか、私も負けずに昭和の天然色、続けます。
7月、8月に撮ったカラーを探すと、北陸方面のものが何点か出てきました。と言っても鉄道目的では無く、会社から海水浴へ行った前後に立ち寄りしたものでした。休日までも会社への帰属意識を強要された時代、私の勤務先では、会社の保養所が北陸にあったこともあり、夏になると決まって北陸方面に泊まりで海水浴に行きました。貴重な休日を奪われる団体行動から一刻も早く逃げ出したい私でしたがが、鉄道に立ち寄れる楽しみだけの一心で参加申込みをしたものでした。北陸本線の沿線では、それこそ各駅からローカル私鉄が枝分かれしていた。さすがに昭和50年代に入ると、かなり廃止が進んでいたが、今から見ると“こんなところに”と思うようなところまで私鉄が伸びていた。福井鉄道南越線もそのひとつで、国鉄武生駅の東隣に、写真の社武生駅があり、山手の粟田部まで伸びていた。国鉄とは線路がつながっていたので、貨車の受け渡しや、西側を走る福井鉄道福武線の電車と共通運用も可能だった(昭和49年7月)。


福井鉄道南越線は、社武生~粟田部~戸ノ口14.3kmを結んでいたが、昭和46年8月限りで粟田部~戸ノ口が廃止されており、訪問当時は、社武生~粟田部のみがが一閉塞で残っていて、単行の電車が行き来していた。稼働車は電機1両と電車2両のみで、電車は写真右のモハ132と、同型のモハ131だった。写真左は廃車のモハ111。途中にある工場への貨物輸送があり、それが生命線となっていたが、輸送契約が完了すると、昭和56年3月限りで廃止された。社武生駅の近くには、福井鉄道バスの車庫があり、まだボンネットバスが見られた。もう営業には使われていない、いすゞBXDだが、2台は微妙に違う。敦賀駅前でも福井鉄道バスを撮った。三菱ふそうMR400系で当時よく見られたタイプだが、塗装は、現在から見れば、二世代前の旧色となる。

南越線で興味深いのは、社武生~岡本新、岡本新~戸ノ口は、設立会社も設立目的も違うこと(岡本新は、粟田部の隣駅)、社武生~岡本新は南越鉄道により設立、岡本新~戸ノ口は、鯖江と岡本新を結ぶ目的で今立鉄道が設立され、岡本新~戸ノ口のみが開業し、戸ノ口~鯖江は放棄された。つまり岡本新は、武生、鯖江の両方向に向けて線路が敷設されたため、地方には珍しいスイッチバック駅となっていた。その面影を訪ねて、廃止後、粟田部、岡本新あたりを訪問したことがある。ただ、もう鉄道時の面影はなく、線路や駅の面影を偲ぶことはできなかった。

古くからの集落である粟田部には、好きだった洋風建築が多数残っていて、大きな収穫があったが、代替バスの本数が少なく、武生に出るのに苦労したことが思い出される。

 

1 thought on “ 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【7】

  1. 総本家青信号特派員様
     懐かしい写真に、思わず目が止まってしまいました。
     南越線、走っていましたね。かつて。残念ながら、乗る機会はありませんでしたが、2枚窓の車両覚えています。
     バスの色も、あぁこんな色だったと昔を思い出しています。
     福井鉄道は駅名に〇〇新が多かったでしたね。今は駅名も随分変わっているようですが、越前武生は武生新、商工会議所前は福井新でしたね。
     粟田部は地域的には存在感のある地名でしたが、こんな立派な建物があったんですね。懐かしや!

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