天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【18】 秋編

山陰本線を行きつ戻りつ

前記の山陰本線の三見~飯井での撮影に続いて、何ヵ所か海岸沿いで撮影をしたり、三江北線、木次線に寄ったり、均一周遊券ならではの旅を続けました。昭和も46年になると、“SLブーム”は頂点を迎え、それを狙った出版物も多く出るようになります。撮影地でよく見掛けたのは、鉄道ファン臨時増刊の「撮影地ガイド」で、撮影地と列車ダイヤも載っている、まさに撮影向けの本でした。昭和44年、46年に発行され、ボロボロになった本を抱えた高校生・大学生をよく見掛けました。いまと比べると、情報源も限られていた時代で、コピーをするにも一枚が何十円もして、本をまるごと持参したものでした。三見から石見益田へ、乗り換えて岡見で下車した。ここは、三見のような穏やかな海岸ではなく、険しい岩礁が続いている。まずは、DF50537の牽く829レを撮影。

さらに海岸近くへ下りて行って、岩礁の上から、ガーダー橋を渡って行く826レをとらえた。別の日に、いまや山陰本線随一の撮影地となった、折居~三保三隅へ向かった。まずは、線路沿いに256Dを撮る。キハ1121+1122の2連、DC列車は、まだ10系が幅を利かせていた時代だった。同区間は、当時から、道路が、海岸線のやや高い位置を走っていて、そこから、山陰本線と海をうまく入れて撮れた。下り「まつかぜ」が通過する。山陰本線の特急は、京都発着の「まつかぜ」、新大阪発着の「やくも」の2往復で、まだ“クイーン”の称号は生きていた時代だった。後日、このカラーが、仕事先だった代理店を通じて、金融機関の顧客募集のツアー旅行のA4チラシに使ってもらった。真横からD51の牽く831レをとらえる。

山陰本線を撮り尽くしたあとも、播但線に寄って、生野で下車、長谷まで歩きながら、市川の鉄橋で693レを牽くC5734を撮って、今回の旅行を終えた。山陰方面へはその後も何度かは行ったものの、撮影地で下車することはなく、通過するだけに終わっている。

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【18】 秋編」への2件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    鉄道ファンの臨時増刊号は、小生も愛用しておりました。鉄道専門の雑誌があることを鉄友に教えられ、初めて買ったのが鉄道ファンでした。1971年1月増刊の117号を買うため、マツモト模型へ自転車で出かけたのも懐かしい思い出です。
    昭和47年秋に弘済出版社の「最新SLダイヤ情報」が出るまでは、鉄道ファン117号が唯一無二の存在で、撮影には時刻表と共にかばんに入れて持って行きました。何度も持って行ったせいで本はボロボロになりましたが、今でも当時撮影した列車を調べる時に活躍してくれ、愛着のある一冊です。
    あの頃はDF50や10系気動車は珍しくもなんともなく、ついぞカメラを向けなかったことが悔やまれます。

    • 紫の1863さま
      「撮影地ガイド」の思い出、ありがとうございます。そうですね、相当酷使されていますね。ボロボロ具合が、撮影の情熱度を語っていました。私は、そのまま持参すると重いので、記事は手帳に書き写し、地図はトレーシングペーパーを置いて転写していました。その後に、弘済出版の「最新SLダイヤ情報」も出ましたね。ただ雑な編集の割には、唯一のダイヤ掲載のために値段を吊り上げる商法が嫌でした。「鉄道ファン」以降のダイヤを知りたくて、泣く泣く購入した思い出があります。

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