天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【17】 秋編

ウワサの伯備線へ

標記のシリーズ“秋編”をしばらく続けます。われわれの現役時代は、9月中旬からやっと後期の授業が始まりましたから、じゅうぶんに“秋”を感じながら、夏休みの撮影旅行を終えたものでした。当時、席巻していた“SLブーム”の象徴が、D51の三重連が見られた伯備線の布原信号場でした。信号場から鉄橋までのわずか数百mの区間に、全国が集まった“マニア”が集結しました。正統派を自認(?)していた私は、“にわかの聖地”には、絶対に行かないと決めて、近づかないようにはしていましたが、「話のネタ」にと、やっと腰を上げたのが、昭和46年9月でした。岡山から入った伯備線は初乗車だった、高梁川に沿う区間では、何度も対岸へ渡る鉄橋が続き、ガーダー橋が多く、撮りやすい区間だ。井倉~石蟹に掛かるガーダーは、渡らずの鉄橋で、対岸から編成をうまく入れられる。D51の牽く客車列車もあったが、まずはカラー映えのするDC列車にカメラを向けた。20系よりも10系が多く、岡山近辺のため、長編成も多かった。

布原信号場へは、岡山駅でステホして、朝早くに到着して待機した、伯備線だけでなく、芸備線の列車も通るから、頻繁に客貨列車が来る。期待の三重連は、本日は重連だった。回送扱いのD51の運用によっては、重連になることも多かった。そのあとに来た921列車は、DD5432+C58247の重連だった。DD54は米子区に集中配置されていたから、山陰線だけでなく、伯備線の新見以北にも運用されていた。手にした切符は「山陰均一周遊券」で、まだ山陰線に夜行列車が走っていた時代だから、深夜のターンが可能だった。山陽線の夜行などと比べて、よく空いていたから、深夜の乗換も安心だった。伯備線から米子へ出て、博多行き「さんべ3号」で夜明けの長門市に着いた。機関区には、山陰線、美祢線のC58、D51が多く配置されていた。長門市から少し戻った三見で下車。入り江に沿った、カーブ地点で、下りの貨物をとらえる。朝の冷気のためか、D51の煙が向こうに漂っていて、墨絵のような光景だった。この三見~飯井は、例の折居の「道の駅」から見下ろすような雄大な光景ではなく、入り江に沿って、小さな漁港があり、赤い瓦を載せた家も多くある。かえってそれが山陰を感じさせるところでもある。最近のことはよく知らないが、あまり紹介されていないように思う。たぶん、クルマの追っ掛けには不利なところなのだろう。

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【17】 秋編」への1件のフィードバック

  1. 誰からもコメントがありませんので、ここで、古いカラーの復元について、言及しておきます。私はPHOTOSHOPで修整していますが、レベルに応じて「クイック」「ガイド」「エキスパート」の3段階のボタンがあります。「クイック」は、初心者向きとなっていますが、いちばん分かりやすい操作で、デジ青のカラー復元で愛用しています。前にも書きましたが、いまの写真の世界は、全てがオーバースペックです。ネットに載せるだけなら、もっとスモールサイズ、スケールダウンで進めるほうが、時間、労力の節約になることを痛感しています。

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