天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【14】

前々記の日南線訪問の翌年、昭和51(1976)年の夏にも九州を訪れています。その時の一端を上熊本駅周辺のカラーで回顧します。上熊本は、熊本のひとつ博多寄りにある国鉄の駅で、今でこそ、平行する九州新幹線に合わせて、駅が高架化され、駅前も再開発されていますが、当時の上熊本の駅舎は開業時のままで、もとの九州鉄道のスタイルを色濃く残した駅舎でした。そして、駅前を出ると、左手に熊本電鉄の上熊本駅、右手に熊本市電の上熊本停留場があり、小さいながらもターミナルとして機能していました。熊本電鉄の上熊本駅に到着する、北熊本~上熊本の折返し電車、モハ301が、国鉄貨車2両を牽いて到着したところ。国鉄へは連絡線があって、国鉄貨車が乗り入れしていた。と言っても、量はわずかなもので、貨物列車の設定はなく、電機も在籍せず、営業の電車が、貨車を牽いたり入換をしていた。モハ301は、もと小田急デハ1100、4両が熊電に来て、両運化された。熊本電鉄は、914mmの菊池軌道がルーツで、まだ軌道時代の面影が色濃く残り、タブレット、腕木信号機と、まだまだ前時代的な地方私鉄の様相だった。駅舎回りも、以前に見た湯口徹さんが撮られた昭和30年代と変わらず、右端の広告もそのままだった。

いっぽう市電の上熊本停留場に停車する1206号、健軍行き。200形をワンマンに改造して1200形になったもので、このあと、昭和53年には日本で初めて路面電車の冷房車となった。写真のように、電停はバス停も兼ねていた。チラリと見える、熊本市営バスのUD車の後部も懐かしい。右手の仰々しい標識も時代を感じさせる。1000形は、中央窓の大きな当時の熊本市電スタイルを確立した。のちに、こちらも冷房化された。熊本電鉄が右手に見える。熊電は狭軌、市電は標準軌で、もちろん行き来はできないのだが、実は以前、三線式区間があって、国鉄貨車が乗り入れしていた時期がある。下図のように、昭和45年限りで廃止になった市電坪井線(藤崎宮~上熊本駅前)であり、この線は、上記写真の上熊本線とは全く別系統だった。200mほど先にある熊本倉庫への引込線も兼ねていて、この区間は三線式になっていた。国鉄の貨車は、熊電への連絡線を通って、駅前を横断し、そのまま坪井線を直進して熊本倉庫へ出入りしていた。

JTBパブ「熊本市電が走った街今昔」より転載

その後の上熊本

その後、前記のように九州新幹線の建設時に付近は再開発された。市電のほうは、廃止された貨物駅の用地に、車両基地を新設した。停留場も上屋付きの二線式の立派ホームになった。熊本電鉄の上熊本駅は、側線が撤去されて、棒線式の終端駅になった。旧型電車を一掃するため東急の5000形が導入されたが、その“青ガエル”も、最後の一両が見納めとなり、40年ぶりで上熊本を訪れた。冒頭の写真とほぼ定点位置である(2016年2月)。

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