関三平先生から、先日の「昭和の電車・国鉄クハ79060」へのご質問に関してお手紙でご回答を頂きました。関先生も乙訓の長老も電子手紙はお嫌いなようで、“巻紙”とは言いませんが、お手紙に資料写真を添えてお送りくださいましたのでご紹介します。なお、資料写真は原版をコピー機で複写したものです。
初回の時に藤本さんの解説にあり、先日の投稿への河さんからのご指摘にあった『クハ79066には運行表示窓があったはず』についてのご回答です。
惨暑お見舞い申し上げます
「クハ79066・クハ79060」が物議を醸しているようですので一寸説明を!
A~Dは制作の参考にした写真です。(A以外は自写)
(Y)のクハ79060の扉を79066に合わせて木製として、角度補正をして(D)の構図に取り入れてできた線画が(Z・本番)。
(C)の隠れたところに運行表示窓があったとは露知らず、間違ったイラストとなったようです。また、テールランプも大タツで撮った分はすでに埋め込みですが、関東形非貫通顔の原型を表現したかったので、取り付け式の旧式にしてしまったようです。こちらは叡電デナ1で沖中さんに指摘されたように「サマになるのが第一!」的のんきさで描いたものと思われます(まるで他人事みたいに!)。DRFC-OBさんの厳しいチェックなど当時は夢想もしておらず、一般読者第一と考えていたルーズさの故の不祥事です。元来が自己満足的なところが多いイラストですのでこの様な点は多々ありと思いますが、ま、ご寛恕下さい。
勿論、間違った箇所を教えていただけるのはありがたく、喜んでいます。皆様(藤本さん、河さんなど)からの正確なデータ類、いろいろとご開陳ください。非常に楽しみにしています。
まずは理由にもならない弁明まで。 草々
2019-8-17 関三平拝
電車等の車両については、その長い寿命の中で改造や更新が結構有って、実はその形態は細部について度々変わり、我々を悩ます事が良く有ります。
なかんずく国電については、東や西でローカル事情が有り、細部についてはマチマチの改造を施されるものです。
更には東西間で行ったり来たりの転属も有って、改造モレの例も有ります。
今回の運行灯窓も、東では全て3桁化し、高さの取れぬ場合は寸詰まりの窓でも無理矢理空けました。
しかし、関西では必ずしも本社令に従わず阪和線やクモハ54などを除き、51や68、更には関西系73などは2桁のままで終わった例があります。
何れにしても同一車両でもタイミングによって、その形態には変化が有りますので、『知ってる事をヒケラカス』ために?重箱の隅をつつく様な事をしてしまい、猛省しております。
河 昭一郎様、
DRFCは「乙訓の長老」「湯口徹」ここには出てこられませんが「重沢」などの各先輩が創設されてから約60年になります。私が入会したのがその数年後で、すでに多くの会員がいました。入会時に当時の会長であった「無印不良品」、副会長の「大阪通信員」各先輩から言われたのは『同好会であって研究会ではない。だから先輩・後輩の差はない。従って遠慮なく疑問などは納得するまで議論しろ。ただし、社会人としての礼儀は外さない範囲で』と言うものでした。
これは、現在まで続いています。
今回のご指摘もこの例に当てはまります。ご覧の通り『知っていることをひけらかす』のも『重箱の隅をつつく』のもみんな大好きです。そのためにこの会があり、そのためにこのHPがあるのです。
関三平先生もご自分の目こぼしで「窓」を描き損なったと仰っています。『このまま掲載して良いのですか?』とお尋ねしたところ、『Don’t mind!』とのお返事を頂きました。さらに『もっとデータなどのご開陳を』と言ってくださっています。きっと関先生も、このDRFCの風情を楽しんで下さっていると勝手に解釈しております。
河様もこの点をご理解下さって今後とも鋭い突っ込みの妙を我々に「開陳」願います。
最後に、私のような鉄道に関して浅学非才の者が関三平先生、河 昭一郎様に無礼なことを申し上げたことをお許しください。