天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【24】 秋編

三条通を行く京津線

朝の東山三条に続いて、三条通を行く京津線の光景をいくつか拾ってみました。
三条通は、昔の東海道に当たりますが、正確には、南側に平行する細い道路が東海道でした。しかし、京津線開業前の明治期の地図を見ると、いまの三条通にすでに「三條通」の文字があり、東海道に代わる“新道”として、三条通ができたようですが、道幅はごく狭いものでした。いまの三条通のように拡幅されたのは、大正元年の京津電軌古川町~札ノ辻の開業、大正12年、古川町~三条大橋の延伸の前後で、軌道を併用した道路として、三条通の原型ができました。ただ、当時の地図を見ても分かりますが、三条通の拡幅は神宮道までで、蹴上までは明治期の細い道路のままでした。そのため、用地の獲得も容易な白川沿いの区間に着目し、古川町から北東部へ振って、一部は白川、その分流の河川敷も利用しながら、蹴上まで迂回して、現在の三条通と合流していました。その後、この部分の三条通の拡幅もなって、昭和6年には三条通りをまっすぐ進む、廃止前のルートに変更されました。
古川町~蹴上の開業時の旧線跡を、真夏のカンカン照りの日に、クローバー会行事として、みんなで歩いた時の思い出、そのあとに宴会場で飲み干したビールの味も忘れられません。京津線が白川を渡るところには、「白川橋」と彫られた石造りの親柱があり、その横には、道標もある。この道標、延宝六年の銘があり、京都市ではいちばん古い道標だそうな。

京津三条駅に到着する準急、左への急カーブで入構し、渡りを行くところで、貫通路横のガラス窓が見えるほど車体をくねらせて入ってくる。▲▲京津三条へ入駅するための信号待ちを見下ろす。開業当時の三条大橋駅は、この付近の道路上にあったと思われる。

近くの粟田神社の祭礼時には、三条通にも、提灯が飾られた。

白川を渡る。観光用に友禅流しの実演が行なわれていた。夕陽に照らされた白川橋も、古色さが増してくる。

神宮道東にあったうどん屋の前で。ストリートビューで確認したら、店は廃業しているものの、建物は残っていて、看板も残っていた。神宮道の交差点を通り過ぎる時には、平安神宮の大鳥居が車内からも望めた。

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【24】 秋編」への1件のフィードバック

  1. 改めて、この時代、電車と街並みが調和しているのは、電車はすべて原色で、ヘンなラッピングや広告車両が全く無いことですね。もう、最近の電車のド派手さは、ナンなのでしょうか。街並みも、どんどん下品になっています。わずか、20年ほどの風景なのに、街並みに風格があったことを痛感します。

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