四半世紀ぶりにタイに行った(その5)

▲特急46列車パダンプザール駅入線

(再びバンコクへ戻る)

17時にパダンプザールを発車するバンコク行きの特急寝台の46列車に乗る。この列車は、別のタイ・マレーシア国境の町スンガイコーロクを14時20分に発車する38列車とハジャイ(ハートヤイジャンクション)で併合し、バンコクには10時10分に着く。いわば、かつての特急さくらが肥前山口で分割併合し、長崎行きと佐世保行きの二手に分かれていたようなものである。今なら関西空港を出た関空快速と和歌山を出た紀州路快速が日根野で併合し大阪京橋をめざすようなものだが、19時間近く走る長距離寝台特急のスケール感とは印象が異なる。今日、タイ・マレーシアの鉄道通過ルートは実質、パダンプザールのみと言ってよい。今、タイのスンガイコーロク、マレーシアのランタウパンジャンの陸路通過ルートは使えない。タイのハジャイから奥の深南部と言われるナラティワート県、ヤラー県、パッタニー県及びソンクラー県の一部(ジャナ郡,テーパー郡及びサバヨーイ郡)は、外務省ホームページによると、「渡航は止めてください(渡航中止勧告)レベル3」となっている。国境のスンガイコーロクは含まれており、外国人観光客は行くべきではないだろう。しかし毎日、タイとスンガイコーロクを結ぶ列車は走っているのは奇異な感じもする。なぜレベル3となっているかというと、タイからの分離独立を画策するイスラム武装勢力による爆破・銃撃テロが頻発しており、この10年ほどでも数千人が死亡しているのだという情報もある。いや物騒な話である。筆者はジャーナリストでもなく商社マンでもない一介の旅行者である。鉄道趣味は平和が一番。いずれ治安が落ち着いたらこの地方を陸路で越えてマレーシアの東海岸線をゆっくりと旅してみたいものである。▲ゆったりとした座席。上段に客は無く、ずっと占有状態だった。

▲快適な汽車の旅

▲スンガイコーロクから来た38列車。ハジャイで併合。

▲夜の寝台車内

 

ハジャイに着くと、暫く停まる。スンガイコーロクから来る38列車を待ち、連結併合を済ませてから発車するためである。ディーゼル機関車に引かれた列車がゆっくりとホームに滑り込んできた。開け放たれた3等車の客扉の前には、小銃を持った兵士が立っている。物々しいことである。軍が睨みを効かすことで治安が保たれているとすれば、やはりただ事ではない。15分停車し、定刻の18時10分に発車。今晩の列車は、従来型の客車の混結編成で、筆者のエアコン付き2等寝台もステンレス車体の韓国大宇製である。定刻通り先に述べた中国長春製の最新式寝台とほほ同じく開放2段寝台のプルマンタイプなのだが、少し古いのか見劣りして見える。シートは茶色のビニールレザー張りで窓がかなりくすんでいる。固定窓なのでどうしようもない。特急なのだから窓はきれいにしておいてほしいと思う。ほどなく寝台のセッティングに来た。きびきびと手際のいい仕事ぶりである。立ち上がった勢いで、食堂車に行く。編成は14両で、筆者の車両は後ろから2両目。つまり、パダンプザールからの編成が後方ということだ。後ろから3両がエアコン付きの2等寝台。その前4両が非冷房の3等客車。その次がやっと食堂車である。その前を見ると非冷房の2等座席車が1両。そしてエアコン付きの2等寝台が2両。また非冷房の3等座席車3両、荷物車となっていた。

▲一般的な三等座席車

▲食堂車内

▲朝食の粥

▲ホームは概して樹木や花の手入れが行き届いている

▲列車の遅れも拡大し、まったりとした時間が流れる

 

食堂車は非冷房で一段下降窓は全開である。料理は、車内で火力調理した本格的なものを期待したのだが、使い捨て容器のまま温めた定食だった。肉野菜炒めとスープ、ごはんにパイナップルで正直こんなものかと思うが、食堂車で温かい食事にありつけることを喜ぶべきだろう。それにしても、つらいのは食堂車でご飯を食べているのに、アルコールが無いことだ。これは仕方ないとはいえ味気ない。厨房は、火力か電気かで調理するようになっているようで、注文によっては車内で調理されたものが食べれるのだろうが、それが何かは判らなかった。窓が開いているためか、虫も飛び込んでくるし、心なしか車内があまり綺麗でない。が、食堂車が車販弁当の基地にもなっているようで、焼き飯のパック(弁当)をいくつも積んだワゴンもここから出荷される。食堂車で食べている料理よりも、弁当の焼き飯の方がおいしそうに見えた。食堂は、車販の従業員や鉄道警察官の基地(休憩場所)になっているようで、まったりとした空気が流れている。かつての日本食堂とかの食堂車の方が清潔でピシッとした空気が流れている感じがした。寝台に戻ると、セッティングが終わり寝る体制になっていた。韓国大宇の筆者の下段は、広々としていて快適であるが、枕灯が無い。寝台なら当たり前の装備と思っていたのだが。冷房が効きすぎていて寒いくらいで閉口する。レールのジョイント音とかすかな響きを背中に感じながら、綿毛布をひっかぶって微睡む。
翌朝の2月7日、早く寝たせいかまだ空が薄明るいうちから起きてしまう。田舎の田園風景を走っているのだが、どのあたりかは分からない。7時を過ぎ、退屈で空腹がこたえてきたのでまた食堂車へ行く。昨晩と同じように混むことなく、まったりとした空気が流れている。サンドイッチの準備をしているのが見えたが、ここは厨房で作ったものにこだわって粥を頼んだ。エビの効いただしがあっさりしていてまあまあいける。まあまあというのは、米の炊き方というか硬さが???だったのだ。まあ日本の米とは違うので仕方ないのかも知れない。これに南国風の甘ったるいインスタントコーヒーとパイナップルの切り身がついて130B。値段はともかく食堂車で朝ごはんを食べるのはなかなか楽しいものだ。食堂車から戻るとまだベッドの状態のままである。まあ到着が10時過ぎなのでむしろこのままの方がいい。洗面で顔を洗う。洗面台といい、垂れ流し式で穴からバラストが見えるトイレといい、明らかに最新の中国長春の寝台車よりは劣る。味わいというより寝台特急はやはり新しい方がよいようだ。だいぶ時間が経ったが、全くバンコクへ近づいている気配がない。9時を過ぎてからラチャブリーに着く。定刻なら7時48分に着くはずだが、1時間いやもっと遅れている。そうこうしているうちにベッドの解体が始まった。結局、バンコクホワランポーンへ着いたのは昼の12時を回っていた。定刻の10時10分から2時間も遅れていたことになる。何でか解らないが、とにもかくにも19時間を超える38列車の旅は終わった。夜の飛行機まで何とも中途半端な時間になった。食堂車で飲めなかったので駅前のレストランで焼きそばと大瓶のビールを頼む。南国のビールは、暑くてすぐアルコールが抜けるのかあっという間にすっきりと飲めてしまう。

▲ホワランポーン駅前の食堂で。これがうまいんですわ。ほんまに。

▲ビールのあての昼ごはん

 

暫くホワランポーンからすぐのサムセン駅で列車の写真を撮る。線路端を歩くとぷーんと臭いにおいがする。バラストの上にはトイレットペーパーかチリ紙が舞っている。垂れ流し式なので、やはり臭ってしまうのだ。線路端から離れて歩く。近郊路線のディーゼルカーや寝台車を連結した長距離客車列車、貨物列車などが頻繁に来て飽きないが、暑さが体力を奪うので、そこそこにして古い空港のあるドンムアンまで一時間ほど乗ってみることにした。しかし、またまた列車が大幅に遅れていて、チェンマイ方面、北部へ向かう列車に乗るのを間違い、ヤラー行きの長距離列車に乗ってしまった。ヤラーはハジャイの南、過激派ゲリラの活動が活発とされている都市で、ここもレベル3、渡航中止勧告が出ている。そのせいか、車掌が検札の後、ヤラーに向かう人に名前を書かせているようだった。それで乗り間違えたことに気づき、これまた予定外にトンブリ行きの列車に乗ってしまう。トンブリはバンコクにあるターミナル3つの内の一つであり、映画、戦場にかける橋で有名な泰緬鉄道由来のカンチャナブリーやナムトク方面へ行く起点である。バンコク市内の家々の軒をかすめるように列車は進む。窓から顔を出そうものなら激突しそうで危険な匂いがする。日本なら車両限界でアウトになりそうな気がする。読んだ本でもタイでは、絶対窓から顔を出してはいけない。命の危険があると書いてあった。どうやらそれは誇張でないようだ。バンコクにターミナルが3つあるといっても、ホワランポーンが1強で、大阪駅のようなものである。他の2つはターミナルといっても終点になっているだけで、ローカル線の駅なので、桜島やかつての湊町、片町のような位置づけであろう。地図で見るとトンブリは、ホワランポーンから数キロの距離だが、歩いて行ける距離ではない。40番のバスで行けるというが、バスはなかなか来ないし、タクシーもトゥクトゥクも人を乗せているのか乗車拒否か停まらない。だいぶ焦ってきたところにやっとバスが来た。バスから見るバンコクは商店街も活気にあふれ懐かしいような街並みだった。バンコク市内もそのうちゆっくり見て回ってみたいと思った。でも今は時間がない。乗り継ぎが多いので早く晩ご飯を食べて空港へ向かわねば。筆者の性分か結局、今回もゆっくりと旅するとはいかなかった。兎にも角にも久しぶりの南方行きは終わった。6月19日から県外を越え宿泊を伴う旅行も大っぴらにいけるようになったが、こと海外旅行となると未だ目途もたっていない。ブルートレインがまだ走っているうちに再訪したいが、当面は難しい。この2月初頭のタイ行きも、何とかぎりぎりで行けたようなもので、例えばこれが10日でも後だったら厳しかったであろう。何時になったらこのコロナ禍が何とかなるのか、ワクチンが開発普及されないと抜本的解決とはならないだろうが、アフターコロナ、ウィズコロナなど言うのでなく、一日も早く元の状態に戻れることを切に願うばかりである。

▲サムセン駅に入線するホワランポーン行きの緩行ディーゼルカー

▲サムセン駅に入線するホワランポーン行きの106列車

▲サムセン駅を発車する171列車

▲特急31列車パダンプザール行き。編成美を誇る客車は中国長春製。

▲145列車ウボンラチャターニー行き。客車の玉石混交感解って頂けます?

▲サムセン駅へ入線する貨物列車

▲バンコクトンブリ駅にて

▲年季の入った三等座席車、バンコクトンブリ駅にて

おわり

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4 thoughts on “四半世紀ぶりにタイに行った(その5)

  1. お疲れ様でした。ギリギリセーフの良い時に行かれて良かったですね。タイ、マレーシア共に新しい中国製の車両が入っているようで随分と変わりましたね。タイには何回か行っていますがマレーシアへは40数年前にバンコクからシンガポールへと乗り鉄旅をして以来行っていません。当時はバンコクからバターワースまで寝台特急、ペナン島を観光してからまた寝台特急でクアラルンプール経由でした。懐かしく読ませていただきました。マレーシアにも輸出されたブルートレインが走っているようなので、コロナ騒ぎが収束したらまた行ってみたいと思っております。東南アジアは面白そうですね。

  2. ぶんしゅう様
    コメント有難うございます。以前発表されたタイのレポートは大変参考になりました。マレーシアに行ったブルートレイン車両も導入十年を待たず稼働していないとの情報もありますが、改めてマレー半島の鉄道は面白いと思いました。タイミングが合えばご一緒させて頂ければ幸甚にございます。

  3. ブギウギ様
     東南アジアの雰囲気を楽しませて貰いました。
     地図を片手にあちこち行かれる行動力、素晴らしいですね。
     ラオスまで行かれたんですね。単線でラオスへ導かれ、そこには京都市バスが・・ペナン島のシーン・・美味しそうな食事と冷たいビール(寝台車は残念)・・旅情をかき立てられました。良いタイミングで行かれて本当に良かったですね!!早く旅行が出来るようになることを祈るばかりです。
     それにしても中国の力というか進出ぶりも伝わってきました。
     また、乗車された車内写真があればご披露ください。

    • マルーン様
      コメントを頂き、また5篇にわたる拙稿をご覧頂き有難うございます。海外鉄は今は雌伏の時とせざるを得ませんが、また復活をめざします。鉄は我が活力の(みなさまもそうだと思いますが)源泉ですので、国内鉄は再開しています。それにしても中国の存在は、以前よりはるかに東南アジアにおいても大きくなっていることを感じました。

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