駅名喫茶店(第7回:カタカナ駅名)

気まぐれの開店です。連投を失礼いたします。

前回がひらがな駅名でしたので、今回はカタカナ駅名をまとめました。ここで、カタカナ駅名は、すべてカタカナ表記である駅名と定義しております。抜け落ちがございましたら、ご指摘願います。

トマム(石勝線)

ロイズタウン(札沼線):この中で最も新しい駅名です。

ニセコ(函館本線)

スポーツセンター(千葉都市モノレール)

ベイサイド・ステーション(舞浜リゾートライン):賛否両論ありますが、今回は含めました。ディズニーリゾートがコロナ禍で休園していた際も、定期運行を続けていたようです。http://www.mrc.olc.co.jp/

リゾートゲートウェイ・ステーション(舞浜リゾートライン)

テレコムセンター(ゆりかもめ)

フルーツパーク(天竜浜名湖鉄道)

ハーモニーホール(福井鉄道)

スクリーン(近江鉄道):多賀線にあります。

マキノ(湖西線)

コスモスクエア(大阪メトロ)

フェリーターミナル(大阪メトロ)

ユニバーサルシティ(桜島線)

アイランドセンター(神戸新交通 六甲アイランド線)

マリンパーク(神戸新交通 六甲アイランド線)

ポートターミナル(神戸新交通 ポートアイランド線)

フラワータウン(神戸電鉄)

ハーバーランド(神戸市営地下鉄)

オレンジタウン(高徳線)

スペースワールド(鹿児島本線)

ハウステンボス(大村線)

メディカルセンター(長崎電気軌道)

駅名喫茶店(第7回:カタカナ駅名)」への8件のフィードバック

  1. 奈良の駅名研究家様
    最初のカタカナのみ駅は、1961年に開業した富士山麓電気鉄道富士急行線の「ハイランド」でした。現在は「富士急ハイランド」になりカタカナのみの資格はなくなりました。
    今回はJR駅についていくつか記します。国鉄の最初にカナ文字駅になったのは「ニセコ」ですが、改称前は狩太町に所在する「狩太」でしたが、町は「ニセコ」駅に変更するために町名を1964年にニセコ町にわざわざ改名し、1968年にようやく国鉄も「ニセコ」に改称しました。
    二番目は1974年に開業した「マキノ」ですが、湖西線の開業時、通過しなかった朽木村を除き現在の高島市になった4町に原則1駅が開設されました。例外として東西に長かったマキノ町は「近江中庄」と「マキノ」の二駅になり、「マキノ」は当時のマキノ町役場やマキノスキー場に近かったから命名されました。(写真)
    1987年に総合保養地域整備法(通称リゾート法)が制定され、全国にリゾート開発構想が策定されました。その中心となったものが各地に開業したテーマパークで、1990年代から2000年にかけて大小の箱モノが雨後の筍のように出現しました。直前に民営化されJRとなった各社も新規事業参入のひとつとして積極的に協力をし、この時開業・改称したのが「トマム」、「ユニバーサルシティ」(リゾート法とは直接関係はありません)、「スペースワールド」、「ハウステンボス」の各駅です。一部を除き経営が困難になり、スペースワールドなどは廃業されても駅名としては残っています。
    先輩格の1983年に開業した東京ディズニーランドの最寄り駅「舞浜」は、当初は「西浦安」として計画され、開業時は東京を除き「ディズニーランド」とすることで千葉県、浦安市、経営・運営するオリエンタルランド、JR東日本間で合意が取れていました。ところが版権を管理しているアメリカのウォルト・ディズニー・プロダクションの了承を得ることができませんでした。反対の理由は、ディズニーランドとは関係を持たない駅前のパチンコ店などの商業施設などに『ディズニーランド駅前店』というような名前が付く恐れがあるということですが、最終的に所在地名の「舞浜」に落ち着きました。これに懲りてJRも舞浜方面への臨時列車名にも「わくわく舞浜・東京号」、「ワンダーランド号」、「イクスピアリ号」、「舞浜・東京ベイエリア号」など命名に苦労しています。

    • 快速つくばね様

      ご来店ありがとうございます。今回も勉強になりました。

      テーマに該当する駅名をピックアップする作業は少し大変ですが、コメントをいただけるとその苦労が吹っ飛びます。今後ともよろしくお願いいたします。

  2. 1960年代後半までJRではカタカナの駅はなかったですね。私鉄でもなかったのではないでしょうか?最初のカタカナの駅はニセコでした。1967年の時刻表では狩太になっていました。いつから変わったのかちょっと調べてみると1968年に変わったとありました。その経過が面白いのです。1963年にニセコアンヌプリ一帯がニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されました。この玄関口であった狩太町は狩太駅をニセコ駅にしようとしましたが、当時国鉄の駅はその所在地の名前を付けることになっていたので、駅名の変更は認められませんでした。そこで町は町の名前をニセコ町にしてしまいました。当時の国鉄は変更に抵抗しましたが4年後の1968年に駅名を変えました。その後湖西線の開通でマキノ駅ができました。こちらはもともとマキノ町だったのですんなりと決まったようです。ところでマキノ町は、私が物心ついたときはもうマキノ町になっていて、日本最初のカタカナの自治体名でした。地元ではこのカタカナの名前を誇りにしていたようです。
    JRにもカタカナの名前が増えて必ずしも地名からつけなければならないということはなくなったようですね。

    • 大津の86様

      コメントありがとうございます。やはり、カタカナ駅名にもいろろな歴史がありますね。勉強になりました。

      滋賀県には、マキノとスクリーンという2駅がございます。近江鉄道乗車会の際に、スクリーンの駅名標、必ず写真に収めたいと思います。

      • 駅名標は撮っていなかったのですがスクリーン前です。沿線には桜があり、スクリーン駅でも工場の中の桜をバックに撮影できます。ぜひお越しください。

        • 大津の86様

          写真のご投稿、ありがとうございます。

          引退した車両ですね。乗ってみたかったものです。

  3. ニセコとマキノは直ぐに出て来ましたが、規則しばりのキツかった国鉄時代の駅名選定の経緯が、上記2名の方の説明で、興味深かったです。

    そこで思ったのが戦前の日本式で、南満州鉄道の端の方にはハルピンやチチハルがあり、これに無理矢理な漢字を宛てていますよね。
    私の両親の世代でも、漢字で哈爾浜とか斉斉哈爾って書くより実際はカタカナで書いていたのではないかと推理します。

    私の故郷のスペースワールド駅、悲しい印象で、一度も降りたことがないうちに、本体が廃業してしまいました。今年アウトレットに変りましたが早くもテナントの入れ替えや、何年続くのかに気を揉んでいます。SW目的の巨艦レジャーホテルの廃業が今年の北九州の大きな話題です。

    余談の舞浜駅の話題も言わずもがなで、新聞社時代のあるときに、突然黒船のように著作権の使用問題が起きて、オリンピックとディズニーは、勝手な使用はまからんになり、新聞では五輪、TDLもしくはTDRという書き方が主流になりました。オリンピック釣具のように社名を変更した会社もあります。
    そこで言及を広げると、近年阪急そばが若菜そばに、阪急共栄物産と阪急共栄薬局名が使えなくなり、ホールディングになってからの命名の変更を思い出しました。もちろん厳密であることに異論は言えないのですが、創業社長小林一三の”共存共栄”精神から、ゆるい解釈は遠くなったと感じる次第です。

    • K.H.生

      ご来店ありがとうございます。

      「阪急そば」の名が消滅していたこと、存じておりませんでした。情報提供をありがとうございます。

      今後ともよろしくお願い申し上げます。

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