KAWANAKAです。
引越しを繰り返し、東西に出張所(最近は高崎も追加)を持っているとどこに何を仕舞い込んでいるのか分からなくなりました。整理しなければ・・・と思いネガなんかを整理し始めていますが、準特急先輩が佐土原のC61と言われるので探しました。
ネガはまだどこかのダンボールに入っているのか追跡できていませんが、古いアルバムが書籍の中からでききてその中に写真がありました。ネガが出てきたら改めてとなりますが、今から40年前の出来事を掘り返してみたいと思います。
写真がボヤボヤなのでアルバムの落書きと合わせて撮影しそれをPCの画面で再生しました。鑑賞に耐えない内容ですが、古い時代のDRFC卒業してOBとなったころの出来事としてみていただければと思います。昭和47年の5月の頃と思います。
これが、準特急先輩が拘っている場面です。真ん中に準特急先輩が写っています。3人は小生とy川氏、準特急先輩です。青井岳鉄橋の下(だったか)にある国民宿舎での書き込みを掲載しています。このC61が復活することになるとはユメユメ思っていませんでしたが。
南九州から始まった旅は中九州へ。準特急先輩の書き込みとその証拠写真。撮影場所もきちんと記録されています。
最後は北九州へ、準特急先輩はつばめ→新幹線で帰京され、残りはy川氏の会社の寮に泊まって撮影を続けることに。ところがy氏は休暇は罷りならん、出社せよとの社命。仕方なく小生は単身で冷水を通り熊本から阿蘇経由で大分に戻りフェリーで帰阪することになりました。
昔の話です。鉄道そのものとは余り関係がないかもしれませんが、写真、集めた硬券の入場券や冷水、高森の思い出やもろもろのものが生涯の宝物となっています。
kawanaka_t様
えらいもん見つけてくれましたな。プロ並みの絵の達人kawanaka_tさんに比べて何やこの絵はと言われますな。旅館で記念撮影する時に顔を隠す悪ふざけはあの頃よくやりました。先輩方から受け継いだDRFCの伝統かもしれません。吉松の駅前旅館の美人さんとの記念撮影や駅員さんに入場券早く売るようにドスの効いた脅しの場面などを覚えています。多くの方がご覧になっておりますのでこれを最初で最後にしてくださる様にお願い申し上げます。