今年、令和7年7月26日、名鉄瀬戸線喜多山駅下りホームが高架化した。令和8年度には上り線も高架化するとのことである。これで喜多山検車区の跡も消え去り、瀬戸線に吊り掛け車が走っていた時代を振り返る残影がまた無くなったといえるが、瀬戸線から吊り掛け車6750系が引退してもう14年が経つ。喜多山駅高架化にかこつけての展開は少々強引ではあるが、大手私鉄最後の吊り掛け車名鉄6750系について少し振り返ってみたい。
▲喜多山検車区 2004年10月1日
なお、ここでは瀬戸電気鉄道由来の600ボルト時代、或いは昭和53年、1978年に地下線入線改造され就役した3780系や6600系等の高性能車については触れない。名鉄6750系は、一次車が昭和61年、1986年に4両が登場し、二次車は平成2年、1990年に一挙20両が投入された。これにより名鉄瀬戸線は冷房化率100%を達成した。当時の瀬戸線は、高性能車6000系、吊り掛け車の冷房車3780系と共にHL車3730系、3730系も運用されていたが、これらは非冷房であり、機器も老朽化していたとのことで、交替が急務であった。そこで、6750系の一次車登場の後、AL車3850系、3900系の機器を流用する形で6750系の二次車が登場したのである。謎なのは、6750系の一次車が登場してから、同じく3850系、3900系から機器流用し、昭和62年、1987年に高性能車6000系に近しい車体の3300系が登場している。足回りこそ吊り掛け車だが、車体は現在も活躍している車両と遜色なく、もちろん冷房車である。ならば、3300系の増備でもよかったのではないか、と思うのだが、新しい造形の6750系としてデビューさせている。
▲6750系のタネ車となった3900系 津島 1985年8月21日
▲6750系のタネ車となった3850系の車内 1985年8月21日
機器の流用元となった3850系、3900系は、戦後の昭和26年、1951年から新造投入された固定クロスシートの特急車である。特急といっても今のミュースカイの2000系のような有料特急車ではなく、パノラマカーと同じく料金不要であったが、乗り心地も造形もなかなか重厚な形式であったように思う。
3300系は、やはり吊り掛け式ということが災いしたのか、平成15年、2003年の小牧線、上飯田線の地下化、名古屋市交乗り入れに伴い、登場から16年で廃車となっている。なお、その翌年には、2代目となるステンレス製の3300系が登場している。
▲普通栄町行、尾張瀬戸発車 2004年10月1日
▲6750系二次車 6753F 2004年10月1日
▲大曽根 2007年8月14日
▲矢田ー守山自衛隊前 2010年8月1日
▲瀬戸市役所前ー尾張瀬戸 2007年8月14日
少し、横道に逸れたが、6750系は登場以来、高性能車の6000系、6600系に伍して普通から急行まで共通運用で活躍してきたが、平成19年、2007年に喜多山検車区が尾張旭検車区に移転し、その翌年には現在も活躍するステンレス製の4000系が登場した。尾張旭検車区は塗装設備を持っていないとのことで、この時点で6750系も含め在来の鋼製車は先が見えたとも言える。早くも、平成21年、2009年には、6753F、6755Fが廃車となり、平成23年、2011年3月のダイヤ改正をもって完全引退した。車体が新しく、電磁直通ブレーキ化、空気ばね台車化、カルダン化の対応も準備されていたとのことだが、全車廃車解体され1両も残っていない。私自身、平成23年、2011年の2月の訪問を最後に、その後は一度も瀬戸線を訪れていない。
このように、車体は高性能車に見えて足回りは吊り掛け式の車両は、かつては、そこかしこの鉄道事業者に存在した。一例だけ紹介すると、モハ72970番台や京王5100系、小田急4000系、名鉄7300系、京阪600系、近鉄1000系、そして平成19年、2007年までこの名鉄6750系と双璧で活躍した東武5050系がある。モハ72970番台と小田急4000系、近鉄1000系はその後、高性能化改造され、近鉄1000系は今なお活躍している。名古屋線に新型一般車の導入が予定されており、先が見えてきたと言える。こうした車両群は、高度成長期に増大する輸送需要に対応するため、車両数つまり輸送力を迅速かつローコストで確保しつつ、それでいて接客設備は遜色なく、と二兎を追ったもので存在感を示した。
こと名鉄6750系については、登場が平成2年、1990年と、高度成長期のもっと後のバブル景気の残滓が残る年代であり、大手私鉄では、東武を除くと、ほぼ吊り掛け車は淘汰され、ごく一部に残るのみであった中、登場してきたのは異例であり、記憶に留めるべきと思うのである。
吊り掛け車なので、保守の面での決定的なビハインドはあったが、乗客として乗る分には6750系のFS107ゲルリッツ台車は、重厚な乗り心地で空気ばね台車の高性能車とはまた違う乗り味であり、空調車で快適なのでもっと残存してほしいとの思いであったが、時代は進む。
私からすれば、カルダン式で空気ばね、空調付きであれば新型電車と思うが、今の若い人からすれば、カルダン式でも113系など鋼製の抵抗制御車は旧型にカテゴライズされるようである。これらの車両も登場して半世紀以上経つので無理もない。昨今、引退が報じられて爆発的に集客する花形車両やイベントが話題に上ることもあるが、静かに引退していった普段使いの車両に思いを馳せ、拙文と写真を出させて頂いた次第である。
▲2両✕2本しかない6750系一次車 登場時は6650系を名乗っていた 喜多山 2011年2月20日
▲6750系一次車 矢田ー守山自衛隊前 2011年2月20日
▲6750系一次車 矢田ー守山自衛隊前 2011年2月20日
▲6750系二次車6756F 喜多山 2011年2月20日 二次車さよなら運転の日、古い方の一次車は3月まで残存した



半世紀前、1973年2月11日の名鉄瀬戸線、尾張旭駅、ク2222です。
1973年9月11日、尾張旭を通過する、瀬戸行特急、モ905です。
1973年2月11日、尾張旭、瀬戸行準急、ク2191です。
路面電車のような台車、連結面の丸窓が特徴で、ク2221、ク2222と共に、瀬戸線の名物電車でした。
当時、瀬戸線の昼間の運転間隔は、大津町~瀬戸間、特急、準急、各20分間隔、堀川~喜多山間、普通40分間隔でした。
藤本様
瀬戸線の貴重な写真をありがとうございます。600V時代は全く知らない世代になります。白帯の特急は見てみたかったです。その残党が谷汲線で余生を送っていました。1985.3黒野